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出典検索?: "ジャッキー・スチュワート"
サー・ジャッキー・スチュワート
Sir Jackie Stewart
OBE
シルバーストン6時間レースでのスチュワート
(2014年)
基本情報
フルネームジョン・ヤング・スチュワート
John Young Stewart
国籍 イギリス
出身地 スコットランド
同・ダンバートンシャー州ミルトン
生年月日 (1939-06-11) 1939年6月11日(84歳)
F1での経歴
活動時期1965-1973
所属チーム'65-'67 BRM
'68-'69 マトラ
'70 マーチ
'70-'73 ティレル
出走回数100 (99スタート)
タイトル3 (1969,1971,1973)
優勝回数27
表彰台(3位以内)回数43
通算獲得ポイント359 (360)
ポールポジション17
ファステストラップ15
初戦1965年南アフリカGP
初勝利1965年イタリアGP
最終勝利1973年ドイツGP
最終戦1973年アメリカGP
(スタートせず)
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サー・ジョン・ヤング・"ジャッキー"・スチュワート(Sir John Young "Jackie" Stewart, OBE, 1939年6月11日 - )は、イギリス・スコットランド出身の元レーシングドライバー。F1にてワールドチャンピオンを3回獲得した、イギリスを代表するカーレーサーとして知られる。
1972年に大英帝国勲章、2001年にナイト爵を叙勲。1990年には「国際モータースポーツ殿堂」入りした。 元々はクレー射撃の選手として、1960年ローマオリンピックのイギリス代表候補になったこともある。父親はジャガーのガレージのオーナーで、兄はジャガーのレーサーであり、自身がモーターレースの世界に入るのは自然のなりゆきだった。 1963年、ローカルレースで才能を認められクーパーのF1テストに参加すると、レギュラードライバーのブルース・マクラーレンよりも速いタイムを記録した。ケン・ティレルが率いるクーパーF3チームに加入し、1964年のイギリスF3選手権チャンピオンを獲得した。 1965年、新人ながら当時F1のトップチームのひとつだったBRMに抜擢されると、2戦目に3位表彰台、8戦目のイタリアGPで早くも初優勝を達成した。エースのグラハム・ヒルを脅かす存在となり、同郷の先輩ジム・クラークと共にフライング・スコット(空飛ぶスコットランド人)旋風を起こした。 1966年にはモナコGPで優勝するが、チームはH型16気筒の新エンジン開発で躓く。ヒルの移籍により1967年はエースドライバーとなるが1勝も挙げられず、スチュワートもBRM離脱を決意した。 1968年、ケン・ティレルが率いるマトラのセミワークスチーム「マトラ・インターナショナル」へ移籍し、オランダGPでフランス車のF1初勝利を記録した(ただし、自製V12エンジンのマトラワークスと異なり、フォード・コスワース・DFVエンジンを使用していた)。ドイツGPでは濃霧のニュルブルクリンクで2位以下を4分引き離す圧勝劇を演じ、卓越した技量を証明した。この年はもう1勝し、ヒルに次ぐシリーズランク2位となった。 翌1969年は勝てそうで勝てないヨッヘン・リントとは対照的に開幕から8戦6勝という驚異的な成績を残し、3戦を残して悠々と初のワールドチャンピオンを決めた。 1970年、マトラとフォードの契約が切れたため、ティレルはマーチシャーシで参戦した。スチュワートは2戦目に優勝し、新興コンストラクターのマーチに初勝利をプレゼントした。カナダGPよりティレルが正式にコンストラクターとして参戦すると、緒戦でいきなりポールポジションを獲得してみせた。 1971年は第2戦スペインGPでティレルの初勝利を獲得すると、11戦中6勝を挙げて2度目のチャンピオンとなった。新興チームながら、恩師ケン・ティレル、愛弟子フランソワ・セベールとのチームワークは素晴らしく機能した。 1972年はシーズン序盤にストレス性の胃潰瘍で欠場し、マシンの不調にも悩まされた。4勝したもののエマーソン・フィッティパルディに敗れた。 1973年にはフィッティパルディに雪辱し、5勝を挙げて3度目のチャンピオンとなった。当時34歳でレーサーとして円熟期を迎えていたが、先輩のジム・クラークや友人のピアス・カレッジ、ヨッヘン・リントらの事故死に心を傷めていた。
レース経歴
BRM
1965年イタリアGPで初優勝
マトラ
MS10で勝利したオランダGP(1968年)
MS80を駆るジャッキー(1969年ドイツGP)
初のワールドチャンピオン(1969年)
ティレル
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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