ジャスティン・トルドー
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カナダ政治家ジャスティン・トルドーJustin Trudeau
ジャスティン・トルドー(2023年)
生年月日 (1971-12-25) 1971年12月25日(52歳)
出生地 カナダ
 オンタリオ州オタワ
出身校マギル大学
ブリティッシュコロンビア大学
前職教師
所属政党自由党
配偶者ソフィー・グレゴワール(英語版)
子女Xavier
Ella-Grace Margaret
Hadrien
親族ピエール・トルドー(父 第20代・22代首相
サイン
公式サイトMeet Justin Trudeau
カナダ
第29代首相
在任期間2015年11月4日 -
国王

総督エリザベス2世
チャールズ3世
デイヴィッド・ロイド・ジョンストン
ジュリー・ペイエット
リチャード・ワグナー(英語版)(代理)
メアリー・サイモン
庶民院議員
選挙区パピノー
在任期間2008年10月14日 -
政府間問題・青年大臣(英語版)
内閣ジャスティン・トルドー内閣
在任期間2015年11月4日 - 2018年7月18日
その他の職歴
自由党党首
2013年4月14日 - 現職)
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ジャスティン・ピエール・ジェームズ・トルドー(英語: Justin Pierre James Trudeau [?tru?do?, tru??do?]1971年12月25日 - )は、カナダ政治家。2013年からカナダ自由党党首、2015年から第29代カナダ首相を務める[1]。第20・22代首相ピエール・トルドーとその妻マーガレット(英語版)の長男。ジャスティンは英語読みであり、フランス語読みではジュスタン・トリュドー(フランス語: [?yst?? t?ydo][2]と発音する。
来歴自ら主催した集会で、ダルフール危機対策を呼びかけるジャスティン・トルドー(2006年9月17日)
少年期「トルドー家」も参照

オンタリオ州オタワ出身。初代および第3代カナダ首相ジョン・マクドナルドの末娘マーガレット・マクドナルドに次ぐ、在任中のカナダ首相の子として生まれた史上2番目の人物である。誕生日は、弟のアレクサンドル(1973年生)と同じ12月25日。1977年、トルドーが6歳のときに、両親のピエールとマーガレットが離婚する。1984年、ピエールがカナダ首相を辞任する。

子供のプライバシーを守るという父ピエールの方針により、モントリオールの親類宅で育った。マギル大学(モントリオール)で英文学ブリティッシュコロンビア大学教育学学位を取得する。その後、ブリティッシュコロンビア州で教鞭をとる。マギル大学大学院で、地理学を専攻した。
知られる存在に

2000年、ピエール・トルドーの国葬の際に、28歳になったトルドーは人々の記憶に残る追悼スピーチを行った[3]

1998年に弟のミシェルがスキー旅行中に雪崩で死亡したことをきっかけに、冬季の安全に関わる社会運動を行うようになる。2003年、カナダ放送協会(CBC)のラジオで毎年行われる「カナダ・リーズ(英語版)」(パネリスト5人が各選書を推薦し、その中から最優秀選書を決める)で、トルドーが推薦したのは、ジョーイ・スモールウッド(英語版)(ニューファンドランド州を1949年にカナダ連合加入まで導いた同州の政治家)の実話を元に描いた歴史小説 The Colony of Unrequited Dreams (ウェイン・ジョンストン(英語版)著、1998年)だった。

2000年前後には、私立学校ウエスト・ポイント・グレー・アカデミーで教師を務めた。この時期、学校で行われた『アラビアンナイト』をモチーフとした仮装パーティーにて、トルドーが顔を茶色く塗るメークを施しからかう姿(ブラックフェイス)が2019年、『タイム』誌で報道されると、トルドーは記者会見にて「人種差別主義者がやるようなことだった」と陳謝した[4]

2005年5月28日、モデルでテレビタレントのソフィー・グレゴワール(英語版)と結婚した。

カナダ・メディアのパーソナリティーとして活動した元カナダ首相の子供数人のうちの一人で、他にはベン・マルルーニー(英語版)、キャサリン・クラーク(英語版)、トルドーの弟アレクサンドルがいる。父ピエールとブライアン・マルルーニーは長年の政敵だったが息子同士には交流があり、トルドーの結婚式にベン・マルルーニーは出席している。ダルフール難民トラギ・ムスタファの隣に座るトルドー (左)

2006年9月17日、ダルフール危機対策へのカナダの参加を求めるため、トロントのラムスデンパークで行われた集会を主催した。

2006年10月25日、CTVのニュース番組『カナダAM』で、国家としての認識をされることを求めるケベック人たちをどう思うかと問われ、「ナショナリズムは思考範囲の小ささから出来るもの」と答えた[5]。この発言は、ケベック州を国家として認めさせようとする、同じ自由党のマイケル・イグナティエフの姿勢を批判したものと受け取られた。2006年の自由党党首選挙の際、ジェラルド・ケネディ(英語版)を応援した。

2006年カナダ自由党党首選挙(英語版)で、トルドーはジェラルド・ケネディ(英語版)を支持した[6]。ケネディは第2回投票で、前環境大臣のステファヌ・ディオン(英語版)に敗れた。
政界進出2008年のトルドー

2006年自由党党首選挙以降、政界進出が噂され始めた[7]。当初、モントリオールのウトレモン選挙区(英語版)が自由党の強力な地盤であり、同時に交通大臣のジャン・ラピエール(英語版)が辞任し政治評論家になることから、トルドーの出馬する選挙区として有力視されたが、2007年2月22日に、同じモントリオールのパピノー選挙区での自由党党予備選出馬を表明した[8][9]

パピノー選挙区での自由党党予備選は2007年4月29日に行われ、トルドーは690票で、次点のメアリー・デロスの350票、バシリオ・ジョルダーノの220票を押さえ圧勝した(候補に選ばれるには634票が必要だった)[10]。予備選勝利によりトルドーは、2008年10月に行われた2008年のカナダ連邦選挙で、ブロック・ケベコワ(ケベック連合)の現職議員ビビアン・バルボと争い当選した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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