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をお願いします。(2012年6月)ジャコバイト(英語: Jacobite)は、1688年イングランドで起こった名誉革命の反革命勢力の通称である。彼らは追放されたステュアート朝のジェームズ2世およびその直系男子を正統な国王であるとして、その復位を支持し、政権を動揺させた。ジャコバイトの語源はジェームズのラテン語名(Jacobus)である。
概要メアリー2世ウィリアム3世
1688年、名誉革命とその体制はジェームズ2世を追放、ジェームズ2世の娘であるメアリーと夫でジェームズ2世の甥のオランダ総督ウィレム3世をオランダから招聘、メアリー2世・ウィリアム3世として戴冠させた。それにともない、議会が王位の継承権を1701年の王位継承法によって規定しようとした。
しかし臣下である議会が王位継承に口をはさむという、当時としては革新的な制度に反感を持つ人々は多かった。議会は、イングランドは国教会が主流のプロテスタント国であるがジェームズ2世はカトリックであること、さらに当時、非国教会信徒は政府官職につくことが禁じられていたことを理由にしたが、それをもって王の海外追放や議会による王位のコントロールを正当化することには疑問を持つ風潮もあったのである。
そうした疑問を持つ人々の間にも温度差はあったが、とくに熱心にジェームズ2世とその正嫡(男系子孫)をイングランド王に復位させるべきとして、ジェームズを支持した人たちをジャコバイトと呼ぶ。また、彼らのとった政治・軍事的行動はジャコバイト運動とよばれる。
ジャコバイトは、名誉革命以後半世紀にわたって、後述する国王暗殺未遂事件や反乱などを起こし、それらの運動は名誉革命体制に対する深刻な脅威となって、時に政権を動揺させた。しかし運動は次第に尻すぼみになっていき、ウォルポールらホイッグの政略もあって、ついに実を結ぶことはなかった。 前述のとおり、名誉革命後も王位は世襲によって守られるべきであり、議会が王位継承に関与すべきでないという考え方は依然根強かった。このイデオロギーはイングランド内外で一定の支持をあつめ、ジェームズ2世とその後裔が核となった。ジャコバイトは特にスコットランドやフランスで強く、イングランドの外側からうかがう形が多かった。ここでは、イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてブリテン諸島以外のジャコバイト、および支援した勢力・イデオロギーなどについて言及する。
ジャコバイトとそれを支援する勢力
イングランドのジャコバイト