ミズーリ州ジャクソン郡
郡のミズーリ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1826年12月15日
郡名の由来第7代アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン
郡庁所在地インディペンデンス
面積
- 総面積
- 陸
- 水
1,596 km2 (616.41 mi2)
1,567 km2 (604.84 mi2)
30 km2 (11.57 mi2), 1.88%
人口
- (2020年
ジャクソン郡(英: Jackson County)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の西部、ミズーリ川の南岸に位置する郡である。人口は71万7204人(2020年)[1]で、州内で2番目に人口の多い郡である。初めからの郡庁所在地はインディペンデンスであるが、カンザスシティが2番目の郡庁所在地となり、郡政府の中心になっている。ジャクソン郡は1826年12月15日に組織化され、郡名は第7代アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンに因んで名付けられた。
カンザスシティは州内で人口が最も多い都市であり、カンザスシティ都市圏の中心都市である。市域の大半がジャクソン郡に入っている。 ジャクソン郡となった地域にはオーセージ族インディアンが住んでいた。最初に地域に入ったヨーロッパ人はフランス人罠猟師であり、ミズーリ川を探検とインディアンとの交易の道筋に使っていた。この地域はヌーベルフランスの一部だったが、イギリスがフレンチ・インディアン戦争に勝利し、この領域をイギリスの同盟国であるスペインに譲渡した。1800年のサンイルデフォンソ条約によって、スペインはフランスにルイジアナ領土を返還し、フランスは1803年のルイジアナ買収によってアメリカ合衆国に売却した。 探検家のメリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークが1804年の探検でジャクソン郡を通過した。彼等の報告書で、現在のジャクソン郡の中の川を「見下ろす場所」とされていた場所に、1808年にオーセージ砦ができた。この砦と交易拠点がルイジアナ買収領土では最初期のアメリカ軍施設となり、1822年まで使われた。 1821年、ジャクソン郡は新しく州に昇格したミズーリ州の一部になった。ジャクソン郡は1826年12月15日に組織化され、郡名は当時テネシー州選出アメリカ合衆国上院議員、後に第7代アメリカ合衆国大統領になったアンドリュー・ジャクソンに因んで名付けられた。郡庁所在地はインディペンデンスに指定されたが、当時は泉に近いちっぽけな町に過ぎなかった。しかし、西方への探検と拡大が急速に進み、インディペンデンスはサンタフェ・トレイル、オレゴン・トレイル、カリフォルニア・トレイルという3つの大きな道の出発点となった。南北戦争と鉄道の敷設により近くのカンザスシティが規模でインディペンデンスを上回り、2つめの郡庁所在地となって、今に至っている。 1838年、ジャクソン郡北部ミズーリ川沿いの小さな土地が「タウン・カンパニー」によって買収され、それがウェストポート・ランディングとなり、今日のリバー・マーケット地区となった。ウェストポート・ランディング外側の地域は1839年に、カンザ族インディアンに因んで「カンザスの町」と改名された。この町が1850年にジャクソン郡によって認可され、1853年にはミズーリ州によって法人化された「シティ・オブ・カンザス」である。1889年、市の人口は6万人となり、新しい憲章を採択してカンザスシティと改名した。1897年、カンザスシティはウェストポートを吸収した。 ジャクソン郡はモルモン教の歴史との関連が深い。1831年3月には、教会の創設者ジョセフ・スミス・ジュニアが、ミズーリ州とカンザス州の境界にある場所が終わりの時の「新しいエルサレム」だと宣言した[2]。その「中心」は郡庁所在地のインディペンデンスにあった[3]。スミスとその弟子達は1831年夏にこの地域を旅し、8月の儀式で正式にジャクソン郡をその地だと宣言した[4]。ジョセフ・スミスは教会員達にインディペンデンスから西にインディアンの土地と指定された線までできるだけ多くの土地を購入するように言った。ジャクソン郡がザイオンだと知ることは、ジョセフ・スミスとモルモン教徒にとって大きな意味があった。モルモン教の信仰に拠れば、ザイオンは心の純粋さが住む場所である。このことはザイオンが何処にでもあることを意味するが、神がジャクソン郡をザイオンだと告げたとき、ジョセフにこの地が新しいエルサレムになるということも告げていた。
歴史
前史時代から郡成立
モルモン教