市旗市章
標語 : "Where Florida Begins(フロリダの始まった地)"
位置
右上: フロリダ州におけるデュバル郡の位置
左下: デュバル郡におけるジャクソンビルの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度19分10秒 西経81度39分36秒 / 北緯30.31944度 西経81.66000度 / 30.31944; -81.66000
ジャクソンビル(Jacksonville)は、アメリカ合衆国フロリダ州北東部に位置する都市。人口は949,611人(2020年国勢調査)で同州最大、全米でも第12位である[2]。1968年にデュバル郡と市郡合併した結果、デュバル郡域のほとんどがジャクソンビル市域となり、人口はマイアミ、タンパ、セントピーターズバーグを抜いて州内最大となった[3][4]。そのため、市域面積は1,962km2におよび、アメリカ合衆国本土48州の都市としては最も広い。しかし、市域内に郊外型の住宅地を広く抱えているため、都市圏はデュバル郡を中心に5郡にまたがっているものの、その人口は1,605,848人(2020年国勢調査)[5]で、州内ではマイアミ、タンパ・ベイエリア、オーランドに次いで第4位、全米では第39位の規模にとどまる。この都市圏に2つの小都市圏を加えた広域都市圏の人口は1,733,937人(2020年国勢調査)である[5]。
ジャクソンビルとその周辺地域はアメリカ合衆国の中でも最も早くからヨーロッパ人の入植が進んだ地で、ファースト・コースト(First Coast)と呼ばれている。1564年にはフランス人入植者が現在の市北東部、セントジョンズ川の河口付近にカロリーヌ砦を建設した。翌1565年には、スペイン人が約65km南のセントオーガスティンに入植し、カロリーヌ砦のフランス人入植者を滅ぼしてこの地の統治権を得た。やがて独立戦争後の1791年に、セントジョンズ川の渡津にカウフォードという町が創設され、これが今日のジャクソンビルの起源となった。そしてアメリカ合衆国によるフロリダ購入後の1821年に、フロリダの初代郡政府長官を務め、後に第7代大統領になったアンドリュー・ジャクソンにちなんでジャクソンビルと改名された[1]。
ジャクソンビルは19世紀前半から港湾都市として発展してきた。南北戦争後には鉄道交通が発達し、亜熱帯性の温暖な気候もあいまって観光業が、そして20世紀初頭には映画産業が栄えた。市郡合併以降のジャクソンビルは、商港・軍港としてのジャクソンビル港を前面に抱える港湾都市・軍事都市としてのみならず、鉄道および州間高速道路の陸路においても東海岸、メキシコ湾岸、およびフロリダ半島の連節点となる交通の要衝として、また多様化した産業構造に支えられた、サンベルトを代表する経済都市の1つとして高い成長を遂げている。 今日のジャクソンビル市がある一帯には、古代からネイティブ・アメリカンのティムクア
歴史
16世紀には、この一帯にはティムクア族の海岸亜族であるモカマ族が住み着いていた。モカマ族はセントジョンズ川の河口周辺にサツリワ(Saturiwa)という、強い力を持つ酋長領を形成していた[7]。初期の地図の1つには、現代のジャクソンビルのダウンタウンがあるあたりに、オッサチテ(Ossachite)という名の村が記されていた[8]。カロリーヌ砦(テオドール・デ・ブライ、1617年発行[9])
1562年、ユグノーのフランス人探検家ジャン・リボーがヨーロッパ人として初めてこの地を探索し、セントジョンズ川を海図に記した。その翌々年、1564年には、ルネ・グーレーヌ・ド・ロードニエールがサツリワの首都であった村の近くに、最初のヨーロッパ人入植地となるカロリーヌ砦を建設した。しかし翌1565年9月20日、セントオーガスティンに入植したスペイン人が兵を率いてカロリーヌ砦を攻撃し、砦の守りについていたフランス人兵士をほぼ皆殺しにし[10]、この砦をサンマテオ(San Mateo)に改名した。フランス人をこの地から追い出したことによって、フロリダにおける最も重要な入植地としてのセントオーガスティンの地位は確立された。
スペインは1763年にフレンチ・インディアン戦争で敗れ、フロリダをイギリスに割譲した。イギリスはフロリダを手に入れると、ジョージア植民地からセントオーガスティンに通ずる「王の道」を建設した。この道は川幅が狭まっているところでセントジョンズ川を渡っていた。この渡津はセミノール族の言語ではワッカ・ピラトゥカ(Wacca Pilatka)、英語ではカウ・フォード(Cow Ford)と呼ばれ、そのいずれの名も、牛がこの地点で川を渡っていたという事実を示すものであった[11][12][13]。1783年にイギリスが独立戦争で敗れると、フロリダは再びスペインの支配下に置かれたが、1791年には、この渡津の英名を取って、現代のジャクソンビルの起源となる、カウフォード(Cowford)という名の恒久的な入植地が創設された[1]。