ジム・ロジャーズ
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ジム・ロジャーズ

ジム・ロジャーズ(: Jim Rogers、1942年10月19日[1] - )は、アメリカ合衆国投資家[2][出典無効]。ウォーレン・バフェットジョージ・ソロスとともに世界三大投資家としてもよく知られる[3]。クォンタム・ファンド(英語版)の共同設立者[2]。ロジャーズ・ホールディングスの会長[4]アラバマ州出身。
経歴

5歳のときに初めて
ピーナッツを売った。

1964年 - イェール大学を卒業(学士)[4]。夏休みのアルバイトにウォール街で働いたことで投資に興味を持つ。ウォール街で初めての仕事を投資銀行ドミニク&ドミニク社(英語版)で得る。当時、ウォール街については何も知らず、株式と債券の違いについてさえ知らなかったが、仕事にはすぐに熱中した。 この後、オックスフォード大学へ留学。奨学金で株式投資を行う。

1966年 - オックスフォード大学を卒業し(学士)[4]帰国。数年間アメリカ陸軍に所属する。

1968年 - 見習いアナリストとしてウォール街で働き始める。

1970年 - 投資銀行Arnhold & S. Bleichroeder(英語版)に入社。

1973年 - ジョージ・ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立[2]

1980年 - 仕事を引退。その後、コロンビア大学ビジネススクール客員教授になる。

1989年 - WCBSの"The Dreyfus Roundtable"で司会を務める。

1990年 - FNNの"The Profit Motive with Jim Rogers"で司会を務める。

2002年 - 毎週土曜日放送のFOX News Cavuto on Businessでレギュラーゲストになる。

2007年 - シンガポールに移住した[5]

投資

ジム・ロジャーズの投資手法は保守的な「バイ・アンド・ホールド」ではなく、利益が出る状況に応じてロング(買い持ち)とショート(売り持ち)のどちらでも変則的に機動的にポジションをとる手法を得意とする。投資対象は株式だけでなく通貨商品と幅広く、また現物取引だけでなく先物取引オプション取引も行う。ジム・ロジャーズは、ジョージ・ソロスともに1970年代におけるヘッジファンドの先駆者であった。ジム・ロジャーズは国際情勢、マクロ経済、金融政策、社会のトレンドなどによる需給の変化を日頃から徹底的に調査して、そこから価格の大きな上昇または下落を予想して最善のポジションを見つけることを投資の基本とし、これは、後にグローバル・マクロと呼ばれたスタイルの先駆けでもあった。ただし、ジム・ロジャーズ本人は「いつもポジションをとるのが早過ぎる」として、下手なトレーダーを自称している。ジム・ロジャーズとジョージ・ソロスが「クォンタム・ファンド」を2人で始めたときは、ジム・ロジャーズがアナリスト的な役割で、ジョージ・ソロスがトレーダー的な役割だったと、ジャック・D・シュワッガーの著書「マーケットの魔術師」で答えている。また、ジョージ・ソロスも自著[注 1]の中で、「クォンタム・ファンドの運営ではジム・ロジャーズがアナリストだった」と述べている。
クォンタム・ファンド

Arnhold & S.Bleichroeder勤務時にジョージ・ソロスに出会ったことがきっかけで、1973年、ジョージ・ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立する。クォンタム・ファンドは10年の間に3365%のリターンを得た(ちなみにこの間、ダウ平均株価は20%上昇したにすぎなかった)。この成功ののち、ジュニア・パートナーであったジムはスタッフの増強に反対し[6][7]、クォンタム・ファンド運営の考え方に違いが生じたためジョージ・ソロスと袂を分かち、1980年にクォンタム・ファンドを去るとともに仕事を引退した。その翌年、クォンタム・ファンドは設立以来初めて資産を半分失う程の大損失を出した。
RICI

1998年、ジム・ロジャーズは「Rogers International Commodity index」(RICI)を設立。この指数は当初こそ好調で、1998年8月1日から2007年12月までに326%上昇した。そして2004年に、書籍Hot Commoditiesを著し、従来の投資における考え方とは逆に、商品投資を最良の投資のひとつと主張した。しかしその後のRICIのリターン(米ドルベース、年率平均)は、2004年3月1日-2014年2月28日の10年間で次のような結果に終わった(世界の株式、債券不動産と比較)。

Rogers International Commodities Index(RICI) + 3.8%

MSCI AC (All Country) World Index (ACWI) + 7.4%

Citigroup World Government Bond Index + 4.4%

S&P Global REIT Index + 8.0%

RICIは他の投資クラスと比べて最低の成績であった。

ちなみに、RICIと連動する日本のファンドとして、大和証券の「ダイワ・コモディティインデックス・ファンド」と三貴商事の「商品新時代」がある。しかし商品ファンドが抱える根本的な問題である先物運用コストに加え、高い信託報酬と販売手数料の問題により、指数に対して大幅に劣る運用結果となっている。例えばダイワ・コモディティインデックス・ファンドでは、設定当初から2014年2月28日までの10年弱で、1割しか上がっておらず、販売手数料を引くと年率リターンは1%にも満たない。
商品市場

ジム・ロジャーズは1990年代から商品市場が強気相場になることを予想して、自らも商品・コモデティ投資を実践した。そして、21世紀初めの商品相場は、価格の高騰を的確に捉えたかに見えた。原油相場が100ドル(NYMEX:WTI先物)を超えた後も、ジム・ロジャーズは大型油田の発見のニュースが無いことを理由に強気相場の終焉を否定していた[8]。しかしサブプライムバブル時の乱高下後、原油相場は5年以上に渡って100ドル前後を越えられず、2014年後半からは暴落を始め、2015年初頭には半値の50ドルを割り込んだ。

2008年に発生した未曾有の金融危機の際にも、ジム・ロジャーズはファンダメンタルズが損なわれていないとして商品投資を奨めていた[9]が、その後5年間の商品の反発(+50%)は世界株(+150%)に比べて大きく劣後している[10]
中国について

中華人民共和国の株式市場の将来性を高く評価して、積極的に中国株投資を行っていた。「19世紀イギリスの時代、20世紀はアメリカの時代、21世紀は中国の時代」と評して、中国に関する著書("A Bull in China")も発刊している。インドへの投資には懐疑的な見方をたびたび表明して、中国への投資が有望と一貫している[11]。娘には中国語北京官話)を学ばせている。

2007年1月26日上海総合指数が2,800まで上昇すると中国株式市場のバブルを主張した[12]が、その後上海総合指数が4,000になると前述の発言を否定した[12]。そして上海総合指数が6,000近くになると中国株に楽観的な考えを表明し、2007年10月には中国株式市場のバブル崩壊にもかかわらず中国株の長期投資を表明した[13]。しかし、実際は2007年7月保有株が4倍になった時点で売り抜けていたと、中国で株価の情報操作と指摘された[12]

2009年7月に上海総合指数が3,300まで反発すると、株価上昇はファンダメンタルズに対して行き過ぎているとの見解を示す[14][15]とともに、(上海総合指数が1,700から2,300で推移していた)2008年10月の購入以来、中国株は買っていないと述べた[14][15]


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