ジム・レヴァートン
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ジム・レヴァートン
Jim Leverton
ジム・レヴァートン(2012年)
基本情報
生誕1946年(77 - 78歳)
出身地 イングランド
ケント州ドーバー
ジャンルプログレッシブ・ロック
カンタベリー・ロック
職業ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器ベース
活動期間1960年代 -
共同作業者キャラヴァン

ジム・レヴァートン(Jim Leverton、1946年 - )は、イギリスのミュージシャンである。、イングランドケント州ドーバー出身。その活動は、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのノエル・レディングスティーヴ・マリオットブロードウィン・ピッグらのサイドマンとして、そしてカンタベリー・ロックのバンド、キャラヴァンのメンバーとしてなど多岐にわたる。
略歴
初期

1964年にイギリス海峡を望む港町・フォークストンで学校を卒業した後、レヴァートンは見習いの職人としてしばらく過ごしたが、自分の将来がミュージシャンであると決心するまでそれほど長くはかからなかった。1960年代初頭までには、すでに「The Big Beats」(1962年-1963年)を含む、ドーバー周辺で活動するセミプロのビート・グループで働いていた。

1964年までに彼はフルタイムで音楽の仕事をする準備ができており、レヴァートンの友人だったノエル・レディングがギターで参加していたフォークストンのバンド、「ザ・バーネッツ (The Burnettes)」に加わった。彼らは2枚のシングルを発表し、18ヵ月後に解散した。レヴァートンは間もなくしてノエル・レディングと一緒に別のバンドに参加した。以前は「The Lonely Ones」として活動していた「The Loving Kind」 (1965年?1967年)である。彼らは、マーヴィン・ゲイの「Ain't That Peculiar」のカバーを含むシングル3枚をパイ・レコードからリリースした。レディングはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスに参加するためにバンドを脱退したが、「The Loving Kind」はその後もしばらく活動した。また、レヴァートンはトム・ジョーンズギルバート・オサリバンエンゲルベルト・フンパーディンクセッション・ミュージシャンとして働いた。

レディングが新バンド「ファット・マットレス (Fat Mattress)」(1968年-1970年)を結成したとき、ニール・ランドン(ボーカル)とエリック・ディロン(ドラム)と共にレヴァートンも再び集結した[1][2]。バンドはアメリカをツアーし、2枚のアルバムをリリースした[3][4]
その後のキャリア

レヴァートンは「ジューシー・ルーシー」[5](1971年)に加入したが、アメリカ・ツアーの後に数ヶ月の休息をとるため脱退した。彼はすぐ仕事に復帰し、今度は「エリス」(1972年)と仕事することとなった。元ラブ・アフェアーのボーカリストであったスティーヴ・エリスが率いるバンドで、そこにはキーボード奏者のズート・マネーも加入していた。次に、ミラー・アンダーソン率いる「ヘムロック」(1972年-1973年)で2年にわたり演奏した。彼らのアルバム『ヘムロック』は、1973年にデラム・レコードからリリースされ、バンドはイギリス、ヨーロッパ、アメリカをツアーした。

彼は生涯の友となるヘンリー・マッカローのソロ・アルバムに取り組むために活動した。アルバム『ブギー・ブラザーズ』を発表した「サヴォイ・ブラウン」(1974年)に加入してアメリカをツアーする前に、歌手のフランキー・ミラーともギグを行った[6]。1975年、再びズート・マネーが在籍する「ジョー・ブラウン & ザ・ブルヴァーズ」(1976年-1977年)に参加する前には、レオ・セイヤーのバンドと同じ時を過ごした。

1978年に、スティーヴ・マリオットが、長年の友人であるジョー・ブラウンのギグの1つを訪ねた。彼はベース奏者/ボーカリストを探しており、レヴァートンの演奏を聴き、レヴァートンとブラウンに対して「スティーヴ・マリオット & ブラインド・ドランク」に参加するよう要請した(1978年-1979年)。それは1991年にマリオットが死に至るまでの、長い仕事上の関係の始まりであった。マリオットとレヴァートンは一緒に、「スティーヴ・マリオット & パケット・オブ・スリー」(1980年-1991年)を含む、マリオット率いるバンドに連続して共演した。レヴァートンも参加したアルバム『The Legendary Majik Mijits』[7]は、マリオットとロニー・レインによってレコーディングされ、2000年にリリースされた。現在も数多くの共演ライブ・アルバムを聴くことができる。

1990年代になって、レヴァートンは一時的に再結成した「ブロードウィン・ピッグ」に参加し、その後、1992年からロリー・ギャラガーと共演した[8]。それからついにジェフリー・リチャードソンと出会った。2人は長く続き成功し続けたギグにおけるパートナーシップをスタートし、1996年にファースト・アルバム『Follow Your Heart』をレコーディングした。その間の1995年に、1970年代初頭から「キャラヴァン」と活動していたリチャードソンは、レヴァートンにバンド加入を提案した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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