ジム・リーランド
Jim Leyland2015年8月1日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地オハイオ州ウッド郡
生年月日 (1944-12-15) 1944年12月15日(79歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
MLB出場なし
監督・コーチ歴
シカゴ・ホワイトソックス (1982 - 1985)
ピッツバーグ・パイレーツ (1986 - 1996)
フロリダ・マーリンズ (1997 - 1998)
コロラド・ロッキーズ (1999)
デトロイト・タイガース (2006 - 2013)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2024年
得票率93.75%
選出方法ベテランズ委員会選出
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ジェームズ・リチャード・リーランド(英語: James Richard "Jim" Leyland, 1944年12月15日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ウッド郡出身の元プロ野球選手、プロ野球監督。 現役時代は捕手として、1964年から1970年までの6年間タイガース傘下マイナーでプレー。AA級が最高でメジャー経験はなかったが、26歳でマイナーの監督になったのを手始めにコーチ、監督を歴任。 1982年から1985年までシカゴ・ホワイトソックスのコーチ、1986年から1996年までピッツバーグ・パイレーツの監督を歴任。バリー・ボンズとボビー・ボニーヤの「B-Bキャノン」で1990年から3年連続地区優勝を果たすも、ワールドシリーズには出場出来ず。 1996年オフ、同郷のデーブ・ドンブロウスキーGMに誘われフロリダ・マーリンズの監督に就任。同GMの積極的な補強もあり、就任1年目でワイルドカードから世界一に輝く(球団創設5年目での世界一は当時史上最速)。しかしチームは財政難のためオフに主力を大量放出し、1998年は54勝108敗で地区最下位に終わる。 1999年にマーリンズと同じく1993年創設のコロラド・ロッキーズに招かれ、3年契約で監督就任。しかし、1年目を終えた時点でモチベーションの低下を理由に『余生を家族と過ごしたい』と突然辞任。その後はセントルイス・カージナルスの非常任スカウトを務めてこそいたものの、実質的には球界からほぼ引退していた。デトロイト・タイガースでの監督時代 ところが2006年、再びドンブロウスキーGMの要請でデトロイト・タイガースの監督に就任。6年間の充電期間で取り戻したかつての情熱をタイガースに注入し、チームの意識改革に成功。チームをまとめ挙げ、開幕から驚異の快進撃を続ける。そして、タイガースはリーランドの元、2006年10月14日にオークランド・アスレチックスを下し、アメリカン・リーグ優勝を果たした。カージナルスとのワールドシリーズでは惜しくも敗れた(勝っていれば、両リーグ世界一監督となっていた)。2011年から2013年まで3年連続で地区優勝し、2012年にはアメリカン・リーグ優勝を果たしワールドシリーズに出場するもサンフランシスコ・ジャイアンツの前に4連敗を喫し世界一を逃した。 選手掌握術に長けており、バリー・ボンズやゲーリー・シェフィールドといった名うてのトラブルメーカーもリーランドのもとでは大人しかった。ホワイトソックスのコーチ時代に当時のトニー・ラルーサ監督から薫陶を受け、選手掌握の何たるかを学んだという。 2010年のドラフトで、捕手である息子パトリックがタイガースから8巡目(全体253番目)で指名された。 2013年10月23日監督業を勇退した。何らかの形で球団に関わるだろうと語っている[1]。
経歴
(2013年5月31日)