ジム・トーミ
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ジム・トーミ
Jim Thome
フィリーズ復帰後のトーミの走塁(2012年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地イリノイ州ピオリア
生年月日 (1970-08-27) 1970年8月27日(53歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション指名打者一塁手三塁手
プロ入り1989年 MLBドラフト13巡目
初出場1991年9月4日
最終出場2012年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


クリーブランド・インディアンス (1991 - 2002)

フィラデルフィア・フィリーズ (2003 - 2005)

シカゴ・ホワイトソックス (2006 - 2009)

ロサンゼルス・ドジャース (2009)

ミネソタ・ツインズ (2010 - 2011)

クリーブランド・インディアンス (2011)

フィラデルフィア・フィリーズ (2012)

ボルチモア・オリオールズ (2012)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2018年
得票率89.8%
選出方法BBWAA選出
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ジェームス・ハワード・トーミ(James Howard Thome, 1970年8月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア出身の元プロ野球選手指名打者一塁手三塁手)。右投左打。

MLB歴代8位となる通算612本塁打を記録する[1]。2018年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[2]
経歴
クリーブランド・インディアンス時代(1991年 - 2002年)

1989年MLBドラフトクリーブランド・インディアンスから13巡目(全体333位)に指名されプロ入り。

1991年9月4日ツインズ戦でメジャーデビュー。

1994年に初の2桁本塁打(20本)を記録して以来、2002年までインディアンスの中心打者として活躍。

1995年には自己最高となる打率.314、25本塁打を記録し、これはアメリカンリーグの三塁手でゲイリー・ガイエティの35本塁打に次ぐ2位だった[3]。チームは1954年以来51年ぶりにワールドシリーズへ進出し、計10試合のポストシーズン、トーミは打率は.213だったが、8本塁打、10打点を記録した。

1996年には38本塁打、116打点、122得点、123四球を記録し、1950年アル・ローゼン以来球団史上2人目となる30本塁打・100打点・100得点・100四球を達成[4]

1997年はトレードでマット・ウィリアムズが加入したため三塁手から一塁手へコンバートされた[5][6]。シーズン40本塁打を記録し、5月14日のレンジャーズ戦で通算100本塁打を達成[6]7月8日に行われたオールスターゲームに初めて選出された。

2001年に49本塁打を記録しハル・トラスキーの持つ左打者としてのシーズン本塁打球団記録を更新し、アルバート・ベルの通算本塁打の球団記録を更新[5]また、マービン・ミラー賞を受賞している。

2002年自己最多、1995年のベルが記録した球団記録の50本塁打を更新する52本塁打を記録し[7]、6月25日から7月3日にかけてMLB記録にあと1試合に迫る7試合連続本塁打を記録した[4]。シーズン終了後の10月22日にロベルト・クレメンテ賞を受賞[4]。インディアンスは5年6000万ドル前後の規模で契約延長を打診したが拒否し[8]、10月28日にフリーエージェントとなった。
フィラデルフィア・フィリーズ時代(2003年 - 2005年)

2002年12月6日に6年総額8500万ドルでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍[9][10]フィリーズ時代(2005年)

補強の最大の目玉として[11]迎えた2003年マイク・シュミットの球団記録の48本にあと1本に迫る47本塁打を放ち[12]、自身初の本塁打王のタイトルを獲得し、打点は自己最多の131を記録した。チームはシーズン終盤ワイルドカード争いを繰り広げ、トーミは9月にナ・リーグ月間MVPを受賞。プレーオフ進出はならなかったが、監督のラリー・ボーワはトーミを絶賛した[11]。 

2004年オールスターまでに28本塁打、61打点を記録し、5年ぶりにオールスター選出を果たした。42本塁打を記録し、通算400本塁打を達成した。2005年は右ひじの故障のため59試合出場、打率.207、7本塁打、30打点に終わり、6月30日の出場を最後にシーズンを終え、8月には右ひじの手術をした[10]

トーミの後釜に入ったライアン・ハワード新人王を受賞する活躍で台頭。
シカゴ・ホワイトソックス時代(2006年 - 2009年)ホワイトソックス時代のトーミ(2008年)

2005年11月25日にトーミと球団には4年4600万ドルの契約が残っていたが、フィリーズはホワイトソックスに2200万ドルを支払い、アーロン・ローワンドらとのトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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