ジム・デミント
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アメリカ合衆国政治家ジム・デミントJim DeMint

生年月日 (1951-09-02) 1951年9月2日(72歳)
出生地 アメリカ合衆国
サウスカロライナ州グリーンビル
出身校テネシー大学
クレムゾン大学
前職アメリカ合衆国下院議員(サウスカロライナ州第4区選出)
所属政党共和党
称号文学士(テネシー大学)
経営学修士(クレムゾン大学)
配偶者デビー・デミント
子女4人
アメリカ合衆国
上院議員
選挙区 サウスカロライナ州
当選回数2回
在任期間2005年1月3日 - 2013年1月1日
アメリカ合衆国
下院議員
選挙区サウスカロライナ州第4地区
在任期間1999年1月3日 - 2005年1月3日
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ジェームズ・ウォーレン・“ジム”・デミント(James Warren "Jim" DeMint、1951年9月2日 - )は、アメリカ合衆国の政治家である。サウスカロライナ州第4区選出アメリカ合衆国下院議員・アメリカ合衆国上院議員を経て、現在はヘリテージ財団の所長を務める。所属政党は共和党で、宗教長老派である。

高校時代からの恋人であるデビー夫人と結婚しており、4人の子供がいる。尊敬する政治家は40代目アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンである。
経歴
政界入りまで

1951年9月2日にサウスカロライナ州グリーンビルでトーマス・ユージーン・デミントとベティ・W・デミント[1]の間に、4人兄弟の1人として誕生する。5歳の時に両親が離婚し、それ以後は母であるベティのもとで育てられた。ベティは離婚後に自宅の外で社交ダンス教室を開業・経営して生計を立てており、若い頃のデミントは母のダンス教室で(レッスン中生徒の)パートナー役の人手が必要になるたびに、母の求めもあってパートナー役を務め、教室の運営を助けていたという[2][3]

高校卒業までグリーンビルで過ごした後はテネシー大学に進学し、1973年学士号を取得して卒業する[4]。また、この年に高校時代からの恋人であったデビー夫人と結婚している[4]。さらにその後クレムゾン大学に進み、1981年経営学修士号(MBA)を取得して卒業すると、故郷のグリーンビルに戻り、紙のセールスマンとして働き始める[4]。そして2年後の1983年には、グリーンビルを拠点にマーケティングリサーチ会社「デミント・グループ」を設立し独立している[2][3]。彼は1998年の中間選挙で当選し、政界入りを果たすまで同社のCEOを務めた[2][3][4]
政界での経歴

デミントが政界へ転身したのは、1998年中間選挙でのことである。この時、連邦議会下院のサウスカロライナ州第4選挙区(第4区)では、現職のボブ・イングリス下院議員(共和党)が上院選に鞍替え出馬するため、第4区の共和党候補者の座が空席となった。デミントは、これまでイングリス議員の選挙活動を支援・補佐してきた経験もあり[4]、第4区は地元・グリーンビルを含むこの第4区の議席を狙い同選挙に出馬すると、圧勝で見事下院議員の地位を勝ち取る[4]。下院議員としては、初当選時に共和党の1年生下院議員が所属する議員連盟(「フレッシュマン・クラス」と通称される)の代表を務めたほか、政策的には「小さな政府」を支持する保守派として社会保障財源の転用を主導したほか、自由貿易推進派の1人としても大きな役割を担った[4]。その政策、特に自由貿易推進については選挙区内の繊維業者から強い批判があったものの、2000年2002年の選挙でも圧倒的な得票を得て再選を果たし、通算3期6年にわたって下院議員を務めた[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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