ジム・コルネット
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ジム・コルネット

プロフィール
リングネームジム・コルネット
ジェームズ・E・コルネット
本名ジェームズ・マーク・コルネット
ニックネームルイビル・スラッガー
(The Louisville Slugger)
ルイビル・リップ
(The Louisville Lip)
誕生日 (1961-09-17) 1961年9月17日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国
ケンタッキー州
ジェファーソン郡ルイビル
デビュー1982年
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ジム・コルネット(Jim Cornette、本名:James Mark Cornette、1961年9月17日 - )は、アメリカ合衆国プロレスリング・マネージャーブッカープロモーターコメンテーターケンタッキー州ルイビル出身。

1980年代から1990年代にかけて、NWAWCWWWFヒールのマネージャーとして活躍[1]。1990年代前半は自身の団体スモーキー・マウンテン・レスリング(SMW)を主宰し、2000年代前半はWWEのファーム団体OVWのオーナーを務めた[1]。近年はTNAROHで活動[1]
来歴

少年時代から筋金入りのプロレスファンで、各地のプロレス番組を視聴するために、3メートルものアンテナを家に取り付けていたという。10代の頃に裏方としてプロレス業界に入り、地元ルイビルを含むケンタッキー州テネシー州一帯をサーキットエリアとしていたメンフィスCWAで、リングアナウンサーやタイムキーパー、プロモーション・インタビューの制作などを手掛ける[2]。カメラマン兼任の雑誌通信員としても活動し、日本のプロレス月刊誌『ゴング』(日本スポーツ出版社)にも写真や情報を提供していた[2]

1982年、CWAを主宰していたジェリー・ジャレット(後のTNA創始者)の発案により、シェリー・マーテルマネージャーを担当。金持ちのドラ息子でマザコンというキャラクターを与えられ[2]、以降は本格的にマネージャー業に転身する。1984年からはビル・ワットのMSWAでミッドナイト・エクスプレスボビー・イートン&デニス・コンドリー)を担当し、その後ダラス地区を経て1985年より彼らと共にジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に移籍。ママに買ってもらったというテニスラケットを誇らしげに携え、ベビーフェイス勢への罵詈雑言を早口で騒々しくまくし立てるウザさが観客や視聴者のヒートを買い、1980年代のアメリカン・プロレスを代表する悪党マネージャーの1人となった[3]

ミッドアトランティック地区ではブッカーも兼任していたが、同地区がテッド・ターナーに買収されWCWに移行してからは上層部との軋轢が生じるようになり、1990年11月に当時のWCW副社長ジム・ハードと衝突して退団[2]。古巣のテネシーに戻り、音楽プロデューサーのリック・ルービンの協力のもと、1991年ノックスビルでスモーキー・マウンテン・レスリング(Smoky Mountain Wrestling)を旗揚げした[2]。同団体はファンタスティックスやロックンロール・エクスプレスなど旧NWA勢を主軸に据えつつ、アル・スノーグレン・ジェイコブズボブ・ホーリーディーロ・ブラウンクリス・ジェリコランス・ストームニュー・ジャッククリス・キャンディードタミー・リン・シッチなどの新しい才能を育て、彼らの飛躍の場ともなった。しかし財政面で苦戦を続け、1993年WWFと業務提携を開始(同時期、ジェリー・ローラーUSWAもWWFと提携を結んでいる)。コルネットもヘブンリー・ボディーズ(英語版)(トム・プリチャード&ジミー・デル・レイ)のマネージャーとして、同年よりWWFのリングに登場した[2]ROHでのジム・コルネット(2011年)

1996年の団体閉鎖後はWWFとフルタイム契約を結び、ベイダーらのマネージャーを担当する一方、ブッカーとしてクリエイティブ・チームにも参画。1997年からはカラー・コメンテーターも兼任し、1998年にはロックンロール・エクスプレスやバリー・ウインダムら1980年代のNWAのスターを集め、WWF対NWAの抗争アングルを仕掛けた[2]。以降はプロデュース業務に専念し、2000年より地元ルイビルの下部団体OVWのヘッドブッカー兼オーナーを任される[2]ジョン・シナバティスタランディ・オートンをはじめ数々のスーパースターを輩出したが、2005年7月にアンソニー・カレッリとバックステージで口論を起こし、彼を殴打したことによりオーナー職を解かれWWEを解雇された[4][5]。以後、WWEからは離れているものの、リック・フレアーリッキー・スティムボートなど様々なオフィシャルDVDのインタビューには登場している。

2005年には長年の功績が讃えられ、NWA殿堂入りを果たした[6]。その後ROHを経て、2006年6月18日よりTNAに登場。番組内で「マネージメント・ディレクター」を演じつつ、ストーリーの立案にも関わった[2][7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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