ジミー・ロリンズ
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ジミー・ロリンズ
Jimmy Rollins
シカゴ・ホワイトソックス時代
(2016年4月28日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1978-11-27) 1978年11月27日(45歳)
身長
体重5' 8" =約172.7 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション遊撃手
プロ入り1996年 MLBドラフト2巡目
初出場2000年9月17日
最終出場2016年6月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


エンシナル高等学校(英語版)

フィラデルフィア・フィリーズ (2000 - 2014)

ロサンゼルス・ドジャース (2015)

シカゴ・ホワイトソックス (2016)

国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC2009年2013年
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ジェームズ・カルヴィン・ロリンズ(James Calvin Rollins, 1978年11月27日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投両打。愛称は「J-Roll」。

かつて阪神タイガースでもプレーした元メジャーリーガーのトニー・タラスコは従兄にあたる。
経歴
プロ入りとフィリーズ時代

1996年MLBドラフト2巡目(全体46位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、プロ入り。この年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級マーティンズビル・フィリーズ(英語版)で49試合に出場した。

1997年は、A級ピードモント・ボールウィービルス(英語版)で139試合に出場し、フィリーズ傘下最多の46盗塁を記録した[1]

2000年は、AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズで開幕を迎えた。スランプに陥るも、調子を取り戻していった[1]。打率.274、24盗塁、リーグ最多の11三塁打を記録し、シドニーオリンピック野球アメリカ合衆国代表の候補にもなった[1]。9月17日、フロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たした。

2001年は、リーグ最多の12三塁打、46盗塁で盗塁王を獲得し、ラリー・ボーワ1974年に記録した連続盗塁成功の球団記録20を更新する35連続盗塁成功している[2]新人王では3位にランクされた。

2002年は、リーグ最多の10三塁打を記録し、昨年に続き2年連続でオールスターゲームに選出されたが、自己ワースト打率.245と低迷した。この年のオフ、日米野球のMLB選抜として来日した。

2004年は、2001年のメジャー定着以降3年連続で三振が100を上回っていたが、大振りが減り、鋭いゴロを打つように徹するようになり、73まで三振を減らした[3]。打率はメジャー定着後最高の.289を記録し、得点は初めて100の大台を超えた。

2005年6月には球団と5年総額4000万ドルで契約延長した[4]

2005年8月23日から36試合連続安打を記録し、シーズンを終え、1899年のエド・デラハンティが持つ球団記録31を更新[1]。その後連続安打は2006年4月5日に歴代8位の38試合で途切れた[5]

2006年は、チェイス・アトリーライアン・ハワードパット・バレルとともに20発カルテットを結成したが、ナショナルリーグ東地区首位のニューヨーク・メッツに12ゲーム差を付けられ地区2位に終わった。フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2007年8月16日)

2007年は開幕前に「今季はウチが地区最強」と発言[6]。4月チームは11勝14敗と負け越し[7]、ロリンズは好調だったが戦犯に挙げられた[6]。しかし、チームの逆転勝利はリーグ最多の48回あったが、ロリンズはこれに最も貢献[8]。9月12日の時点で地区首位のメッツと7ゲーム差あったが、9月30日のシーズン最終戦を同率首位で迎え、ロリンズはシーズン20三塁打を達成し、カーティス・グランダーソン(同年9月9日達成)に次いで、史上4人目となる「20盗塁・20二塁打・20三塁打・20本塁打」を達成[2]。チームは勝利を収めメッツは敗れたため、地区優勝を果たした[7]

全162試合に出場し、球団史上2人目のべ3回目、遊撃手としてはMLB史上3人目となる30本塁打、30盗塁を達成[2][9]。メジャー新記録となる778打席、716打数、ナ・リーグ遊撃手新記録となる139得点、88長打、両打者記録となる380塁打[10]を記録[11]。接戦と予想されたMVPの投票ではマット・ホリデイが本命で、プリンス・フィルダーが対抗と見られ、穴馬と見られていたロリンズがナショナルリーグMVPに選出された[11]。また、自身初のシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞。

2008年は、故障の影響で、2001年にレギュラーに定着して以来最小となる137試合の出場に留まった。その影響で、得点が5年ぶりに100を下回り、それまで2年連続で25本以上放っていた本塁打数も11本まで減少した。


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