ジミー・ホッファ
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ジミー・ホッファ、1965年

“ジミー”ジェームズ・リドル・ホッファ(James Riddle "Jimmy" Hoffa、1913年2月14日 - 1975年7月30日?)は、アメリカ合衆国労働組合指導者。1957年から1971年まで全米トラック運転手組合「チームスターズ(International Brotherhood of Teamsters(IBT))」の委員長を務めた。1975年に失踪し、1982年に死亡宣告。マフィアと手を結び、長年にわたり不正行為を働いたとされる。

チームスターズ労組の現会長、ジェームズ・フィリップ・ホッファ(英語版)は息子。チームスターズは1903年に発足した全米最大手労組のひとつで、トラックやタクシーの運転手を中心に運輸・商業部門そのほか関連分野の労働者を組織している(teamsterは家畜に引かせた荷車の御者やトラック運転手を意味する語)[1][2]
プロフィール
生い立ち

インディアナ州ブラジル(英語版)で鉱山技師の息子として生まれる。父方の祖先はペンシルベニア・ダッチドイツ系)の血筋を引くという。7歳で父を失い、母は洗濯屋を開いたが、1924年、良い就職先を求めて一家でデトロイトに移り、ホッファは雑用のバイトをしながら家計を助けた。14歳で学校を中退して働いた[3]。15歳のとき年齢を偽って倉庫会社の積荷作業員となる[4]
労働組合へ

1930年、食品チェーンの配送の職を得たが、大恐慌で失業者が街にあふれる中、労働条件は過酷で、倉庫で一日12時間シフトで働いた。時給32セントだった。次の貨物が来るまでの待機時間は支払われず、作業監督は些細な理由で人を解雇するなど横暴だった。1931年春、仲間と貨物の積み降ろしをボイコットする実力行使に出た。配送遅延を恐れた経営者を交渉テーブルにつかせ、労働契約を結んだ。ホッファのミニ組合はAFL(アメリカ労働総同盟、American Federation of Labour)に労働組合と認定された[3][5]。1932年に会社から解雇される[4]
オーガナイザー

経営者に屈しないタフさで名が轟き、1932年、トラック運転手の組合チームスターズに渉外係(オーガナイザー)として招き入れられた。デトロイト第299支部に属し、運送会社のストライキやボイコットを指揮した[5]。経営陣はギャングを雇ってストを封じ込もうとしたため、素手、メリケンサック、警棒等で応戦し、乱闘が日常化した。警棒やクラブで殴られ、何度も病院の世話になったが、その回数が余りに多いので病院から緊急治療室の予約前払いを求められた[6]。非組合員の勧誘は、時に暴力や脅しを伴った。

チームスターズ労組への加盟資格はトラックドライバー以外にも拡大され、組合に参加しない商店に爆弾を投下したりした。ライバル組合と労働者争奪戦を繰り広げ、事務所を荒らされたり車を遺棄されたり、告げ口されて警察に何度も捕まった[7][6]。裁判でもストリートと同様、闘争本能むき出しに戦った。1937年までに第299支部長になった。1942年、ミシガン会議を主催し、組合指導者の地位を固めた[7]

1940年代、運送会社の配送ネットワーク伝いにミッドウエスト北部、更に「反組合」の牙城だったミッドウエスト南部へ進出を始めた。カリスマ性や押しの強さで労働条件の改善などの実績を積み上げ、組合内の地位は上がっていった[8]。1936年に結婚し、子供が二人いた[3]
組合のドン

1952年、チームスターズ委員長のデイブ・ベックにより副委員長に抜擢され、同時に組合トップ機関の理事になった[8]。1957年、汚職発覚で逮捕されたベックに代わり、3代目チームスターズ委員長に就任した(数多くの北米マフィアの後押しがあった)[注釈 1]。全会一致の支持ではなかったが、ライバルは支部ごとに分散し、比較的マイナーな存在だった[8]。アメリカ北部のトラック運転手をほぼ手中にし、航空業界の組合も傘下に入れた。1964年、北米のトラック運転手をたった一つの契約下に置く同一賃金協定を実現させた。1960年代、組合員は150万人を超え、チームスターズをアメリカ最大の労働組合に押し上げ、共和党や民主党に対抗する第3の政治勢力を形成した[3][注釈 2]

副委員長時代の1955年に分散していた支部レベルの小口年金を統合して新たな年金制度を始めた。年金保険料の徴収額は1955年時点で月80万ドルだったが、1960年代半ばに月600万ドルまで膨張した[11]。年金資産は銀行に運用委託するのが恒例だが、ホッファは自前で投資先を決め運用した。

マフィア傘下のラスベガスのホテル、ゴルフリゾートなどに低利で融資し、見返りに莫大な手数料・リベートを受け取った[12][注釈 3]。年金運用団体の理事たちはお飾りで実質権限はなく、ホッファの補佐役アレン・ドーフマン[注釈 4]が年金コンサルタントの肩書で年金資産をコントロールした[14]
マフィアとの蜜月

裏社会との付き合いは1930年代に遡り、組合ストや政敵排除でマフィアの協力を得る見返りに、各支部へのマフィアの強請を容認する関係だった。1937年、スト破り要員を経営陣に派遣していた地元デトロイトのマフィア幹部アンジェロ・メッリ[注釈 5]やサント・ペローネに賄賂を渡してスト破りを凍結する密約を結んだ[15][16]


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