ジミー・ジュフリー
Jimmy Giuffre
出生名James Peter Giuffre
生誕 (1921-04-26) 1921年4月26日
出身地 アメリカ合衆国 テキサス州ダラス
死没 (2008-04-24) 2008年4月24日(86歳没)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ピッツフィールド
ジャンルクール・ジャズ、フリー・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズ
職業作曲家、編曲家、管楽器奏者
担当楽器サクソフォーン、クラリネット
共同作業者ウディ・ハーマン、ショーティ・ロジャース
ジミー・ジュフリー(Jimmy Giuffre、1921年4月26日 – 2008年4月24日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン。作曲家や編曲家として活躍する一方で、サクソフォーン奏者やクラリネット奏者としても活動した。演奏者同士の自由なインタープレイを取り入れたジャズの形式を発展させたことで知られ、フリー・インプロヴィゼーションの先駆けとなった。フリー・インプロを代表するベーシストであるバール・フィリップスも「(共演したことのある人物のなかでも)彼は天才だった」と讃えている。 テキサス州ダラスに生まれる。ダラス工業高校とノーステキサス州教育大学(現・ノーステキサス大学)を卒業後、ウディ・ハーマンのビッグバンドのオーケストレーターとして名を揚げた。ハーマン楽団のために、スタンダードとなった楽曲「フォア・ブラザーズ(Four Brothers)」(1947年)を作曲した。ここでサックスを演奏しているのが、スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、サージ・チャロフ、アル・コーンの4名である。
略歴
ウェストコースト・ジャズやクール・ジャズ、そしてサード・ストリームの中心人物となり[1]、ショーティ・ロジャースのグループを経てソロに転身した。クラリネットのほかに、テナー・サクソフォーンやバリトン・サクソフォーンを吹いたが、結局のところクラリネットに専念した。
ギタリストのジム・ホールとベース奏者のラルフ・ペナを迎えて最初のトリオを結成する。ペナは後にジム・アトラスと交代した。1957年に、テレビ特番『ザ・サウンド・オブ・ジャズ(The Sound of Jazz)』においてジュフリーの「トレイン・アンド・ザ・リヴァー(The Train and the River)」が目玉となり、ささやかなヒットに恵まれた。このトリオは、ジュフリーが言うところの「ブルースを基調とした大衆的ジャズ(blues-based folk jazz)」を探究した。同じような臨時の出来事としては、ジュフリーはクラリネット奏者仲間のピー・ウィー・ラッセルと組んで、ただ「ブルース」と呼ばれた気楽なジャム・セッションを行なったことが挙げられる。ダブルベースのアトラスがトリオを去ると、ジュフリーはトロンボーン奏者のボブ・ブルックマイヤーを後任に据えた。この珍しい楽器編成は、部分的にアーロン・コープランドに感化されている。後にこの編成は、ジョン・ゾーンのアルバム『ニュース・フォー・ルル』に踏襲された。
1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで撮影された映画『真夏の夜のジャズ』には、このトリオが「トレイン・アンド・ザ・リヴァー」を演奏している風景が収録されている。
1961年にピアニストのポール・ブレイとダブルベース奏者のスティーヴ・スワロウを迎えて、新規にトリオを結成した。ジュフリー=ブレイ=スワロウのトリオは、現役中はほとんど注目されなかったが、ジャズの歴史において最も重要なグループと認める好楽家やミュージシャンも後に現れた[2]。このトリオは、アルバート・アイラーやアーチー・シェップのような喧しく攻撃的な手法にはよらずに、むしろ室内楽に似た、和みや親密さに焦点を置いたフリー・ジャズを探究した。トム・ジュレック(Thom Jurek)は、同トリオの録音について、「1960年代初頭のジャズの別の側面に関して、最も欠かすことのできない資料の一つである」と記した[3]。