この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー"
ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー
Зиновий Рожественский
生誕1848年10月30日
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死没1909年1月1日
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
所属組織 ロシア帝国海軍
軍歴1873 - 1906
最終階級少将
テンプレートを表示
ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー(ズィノーヴィイ・ペトローヴィチ・ロジェーストヴェンスキイ;ロシア語:Зиновий Петрович Рожественскийズィノーヴィイ・ピトローヴィチュ・ラジェーストヴィンスキイ;ラテン文字表記の例:Zinovij Petrovich Rozhestvenskij、1848年10月30日(グレゴリオ暦11月11日) - 1909年1月1日(グレゴリオ暦1月14日))は、帝政ロシア海軍の軍人、最終階級は少将。日露戦争においてバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)の司令長官を務めた。 帝政ロシアの将校には珍しく貴族出身ではなかった(父は軍医)。1864年、海軍幼年学校に入校し、その後ペテルブルクのミハイロフ砲術アカデミーを優秀な成績で卒業した後、1873年、中尉に任官した。 当初、海軍砲術試験委員会で働き、電気工学に興味を持った。1877年、露土戦争に従軍し、四等ゲオルギー勲章を授与された。1883年、ブルガリア海軍司令官となる。その後、バルチック艦隊に移り、1894年、ステパン・マカロフ指揮下の地中海艦隊で装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ」の艦長となった。 1898年、少将に昇進し、バルチック艦隊の教育砲術支隊司令官となった。支隊司令官在任時、現行の貴族中心の採用基準では有能な人物を抜擢できないとして、暗に貴族制度を批判していた。1903年、海軍参謀総長を歴任し、皇帝ニコライ2世の侍従武官を務めて皇帝からの信頼を得た。
人物概要
生い立ち
ロシア海軍
日露戦争『ロジェストヴェンスキーを見舞う東郷元帥』(藤島武二)