ジジ・ジャンメール
[Wikipedia|▼Menu]

Zizi Jeanmaire
ジジ・ジャンメール
ジジ・ジャンメール(1963年)
生誕1924年4月29日
フランスパリ
死没2020年7月17日
スイスヴォー州トロシュナ(英語版)
出身校パリ・オペラ座バレエ学校
職業バレエダンサー歌手俳優
配偶者ローラン・プティ
子供ヴァランティーヌ・プティ[1]
テンプレートを表示
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 舞台芸術

ジジ・ジャンメール (Renee Marcelle "Zizi" Jeanmaire、1924年4月29日 - 2020年7月17日)は、フランスバレエダンサー歌手俳優である[2]。夫はバレエダンサー、振付家ローラン・プティ[3]

15歳でパリ・オペラ座バレエ団に入団するが、20歳で退団[1]。1949年、プティ振付のバレエ『カルメン(英語版)』に主演し、国際的な名声を獲得する[4]。その後、プティと共にミュージカル映画レヴューの分野にも進出[5]シャンソン歌手として多数の楽曲を発表し、舞台俳優として演劇やオペレッタにも出演するなど、ジャンルを越えたエンターテイナーとして活躍した[1][6]
経歴
生い立ち

1924年4月29日、パリで、父マルセル・ジャンメールと母オルガの間に生まれる[1]。本名はルネ・ジャンメールだが、母オルガが幼い娘のことを「モン・ジェジュ(私のイエス様)」と呼んでいたことから、「ジジ」というあだ名がついた[7]

ジャンメールがバレエに出会ったきっかけは、祖父に連れられて観劇したシャルル・グノーオペラロメオとジュリエット』であった[2]。劇中に登場するバレエに魅了されたジャンメールは、ダンサーになることを志し、1933年、9歳でパリ・オペラ座バレエ学校に入学する[2]。バレエ学校の同期には、後に夫となるローラン・プティもいた[8]

パリ・オペラ座バレエ学校では、生徒がパリ・オペラ座バレエ団のダンサーを一人選んで世話役になってもらうという慣習があるが、ジャンメールの世話役を務めたのはイヴェット・ショヴィレだった[9]。ジャンメールはショヴィレの紹介で、バレエ教師ボリス・クニアセフ(英語版)に師事し、技術を磨くことができた[9]
バレエダンサーとしてバレエ・ド・パリ時代のジャンメール

1940年、15歳でパリ・オペラ座バレエに入団する[1]。しかし、バレエ団内での自分の階級に不満を抱くようになり、1944年、パリ解放の直前にオペラ座を退団した[7]。その後、セルジュ・リファール率いるバレエ・リュス・ド・モンテカルロに参加し、続いてバジル大佐(英語版)率いるオリジナル・バレエ・リュスにも客演した[10]

1948年、ローラン・プティが旗揚げしたバレエ・ド・パリに参加し、その看板ダンサーとなる[4]。1949年、プティ振付によるバレエ『カルメン(英語版)』のロンドン初演が大評判を呼び、主演のジャンメールとプティは国際的な名声を手にする[4]。『カルメン』はニューヨークでも上演され、高い評価を受けた[11]
歌手、俳優、ダンサーとして

ニューヨークでミュージカルに魅せられたプティは、シャンソンでミュージカルを作ろうと思い立つ[12]。ジャンメールは元々歌が上手くなかったが、3ヶ月に渡る歌の特訓の末、この作品の主役の座を手に入れた[11]。1950年、レーモン・クノー台本、ジャン=ミシェル・ダマーズ作曲による『ダイヤモンドを噛む女』が初演され、ジャンメールは本作の主題歌でフランス・ディスク大賞(英語版)を獲得した[2][11]

『ダイヤモンドを噛む女』で注目を集めたジャンメールは、映画会社RKOハワード・ヒューズと契約し、1952年の『アンデルセン物語』で映画初出演を果たす[13][14]。この映画を制作したサミュエル・ゴールドウィンの提案により、ジャンメールは本名の「ルネ」ではなく、幼少期のあだ名である「ジジ」を名乗るようになった[1][15]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef