ジキル博士とハイド氏
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テレビ朝日系列で放送されていたバラエティ番組については「近未来×予測テレビ ジキル&ハイド」を、その他の用法については「ジキル博士とハイド氏 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ジキル博士とハイド氏
Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde
初版扉ページ
作者ロバート・ルイス・スティーヴンソン
イギリス
言語英語
ジャンル中編小説怪奇小説
刊本情報
出版元Longmans, Green & co.
出版年月日1886年1月
日本語訳
訳者岩田良吉
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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リチャード・マンスフィールド扮するジキルがハイドに変身する場面。

『ジキル博士とハイド氏』(ジキルはかせとハイドし[注 1]原題: Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde[注 2]、意味『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』)は、1886年出版ロバート・ルイス・スティーヴンソンによるイギリス小説1885年執筆され、翌年1886年1月に初出版された。通称は「ジキルとハイド」。

人間の二面性を題材にした代表的な作品。そのため、解離性同一性障害の代名詞として「ジキルとハイド」が使われることも多い[1]。この作品は怪奇小説的で、裏の顔を持つジキルが薬を飲むことによって性格、および容貌までも変化していることが特徴である。なお、ハイド(hyde)という名前は、隠れる(hide)に掛けたものである。

話の冒頭には従兄弟のキャサリン・デ・マットス(Katherine De Mattos、1851年-1939年)への献辞とヒースの茂る荒野について歌った4行の詩が掲げられている。

本文はジキルの知人の弁護士アターソンの回想と、ジキルの告白からなる二部構成になっている(同様の作品には『緋色の研究』、『こゝろ』がある)。

スティーヴンソンは、最初に書いた原稿を妻に批判されたことからこれを焼き捨て、新たに3日で書き直したという。彼自身は、最初に書いてから出版まで10週間以内で終わったと語っている。

出版の一年後の1887年5月9日には、トーマス・ラッセル・サリヴァンと俳優のリチャード・マンスフィールドの翻案による戯曲(Dr. Jekyll and Mr. Hyde)がボストン美術館[注 3]の劇場で上演されており、マンスフィールド自身がジキルとハイドを演じている。
あらすじ

舞台は19世紀のロンドン。弁護士のガブリエル・ジョン・アターソンと親戚のリチャード・エンフィールドは、習慣としていた日曜日の散歩中に、繁華街の裏通りにて、エンフィールドが不気味な二階建ての建物を指差し、数ヵ月前に自身が遭遇したという出来事について語るのを聞く。

彼の話によると、不快な感情を呼び起こす醜悪なハイドという男が、ぶつかって転んだ少女を平然と踏みつけて立ち去ろうとする。少女の家族らが詰め寄ると、ハイドは「金額を言え」と言う。100ポンド支払うよう要求すると、ハイドはその建物に入り、10ポンドの現金と90ポンドの小切手を持って出てきた。小切手の署名は彼の顧客であり友人でもあるヘンリー・ジキル博士だった。

アターソンはジキルから「ジキルが死亡もしくは失踪した際には友人で恩人のエドワード・ハイドが全ての財産を相続する」という内容の遺言状の保管を依頼されて困惑していた。アターソンは「ハイドがジキルの財産を狙って恐喝しているのではないか」と危惧し、ハイドを捜し出す事を決めた。

例の建物はジキルの屋敷から続くジキルの実験室だった。アターソンはハイドを待ち伏せしたが、ハイドは青白い小柄な若者で、奇形めいた印象を抱かせ、不快感、嫌悪、恐怖という本能的な感情を引き起こさせた。ハイドは「博士は留守」だと告げ、自分のソーホーの住所を教えた。

2週間後ジキルの屋敷で開かれた晩餐会が終わった後に、アターソンはジキルにハイドについて問い質すため1人残った。50歳で大柄なジキルは、アターソンがハイドに会った事を告げると顔面蒼白になった。ジキルは「その気になればいつでもハイドを追い払う事ができる。心配するような事は無い」と告げた。

1年間が過ぎたある夜、あるメイドが窓から外を眺めていると、ハイドが老紳士をステッキで撲殺するのを目撃した。被害者の男性はアターソンの依頼人でもあるダンヴァーズ・カルー卿であった。警察から連絡を受けたアターソンは、刑事をハイドの住居に案内した。

ハイドの住居に彼の姿はなかったが、凶器のステッキがドアの陰から発見された。それは真っ二つに折れていて、事件現場にあった残りの半分と一致した。

そのステッキはアターソンがジキルに贈ったものだった。アターソンが再びジキルを訪ねると、ジキルはハイドとの関係を完全に断ったと言い、引き起こしたトラブルについて謝罪して別れを告げるメモを見せた。その夜、アターソンの主任書記はジキルとハイドの筆跡が類似性を持っていると指摘した。

ハイドは忽然と姿を消し、数か月の間はジキルは以前の親しみやすい社交的な態度に戻った。しかし、ジキルは唐突に訪問者を拒み始めた。

ヘイスティー・ラニョン博士(ジキル、アターソンの知人)はジキルのある秘密を知り、ショックを受けてひと月足らずのうちに病死した。ラニョンはアターソンに手紙を残したが、ジキルが死ぬか失踪するまで開いてはならないという遺言が添えられていた。

アターソンはエンフィールドとジキルの研究所を通りかかり、窓越しに3人で会話を交わしていたが、ジキルの顔を恐怖の表情が覆い、突然窓を閉めて姿を消す。

ある夜、アターソンをジキルの執事のプールが訪ねた。ジキルが書斎に閉じ篭ったままで、様子がおかしいと説明し、一緒に来てほしいと懇願した。

アターソンとプールはジキルの屋敷へ向った。二人が屋敷に入ると、ホールには怯えた使用人が集まっていた。書斎の中からアターソンの呼び掛けに答える声はジキルではなく、足音も奇妙に軽くジキルとは思えない。プールは書斎にいるのはハイドで博士は殺されたと推測した。二人はジキルの書斎に入ることを決めた。1880年のポスター。ラニョンの前でハイドからジキルへ変身する場面

アターソンに答えた声はハイドのものだった。プールが斧で扉を破壊し二人は書斎に入った。中には自殺したハイドの遺体が横たわっていた[注 4]。ハイドはジキルのものと思われるサイズの合わない服を着ており、ジキルの遺体は見つからなかった。

事務机の上にアターソン宛ての封筒が残されていた。中には相続人をアターソンとしたジキルの遺言状、アターソンに向けた謝罪と詳細を記したジキルの分厚い手記が入っていた。アターソンはまずラニョンの手紙を読んでからジキルの手記を読み始める。

ラニョンの手紙には、「ジキルの手紙での依頼どおりに研究所から持ち帰った薬品を自宅に置いていたところ、ハイドが来てその薬品を調合して飲み、ジキルに変身した。そのショックで病気になり、今や寿命が尽きそうだ。」と記されていた。

ジキルの手紙には、「表向きは善良な紳士である私の最悪の欠点は快楽への旺盛な欲望の二面性であり、これをひそかに満たすために、完全な二重生活を生きてきた。その後、科学的実験を重ねて善悪二要素の完全な分離の可能性を追求し、人格から悪の側面のみを切り離して別人格を出現させる薬品を発明。これを用いて私はハイドという別人に変身するようになった。」と記されていた。

ジキルの手紙は続き.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}最初はジキルを安全な場所に置いたまま、ハイドに変身して道徳から解放された自由を楽しんでいたが、やがて薬を飲まなくても眠っている間にハイドに変身することが多くなった。

恐ろしくなって、変身の習慣を断つ決心をしたものの、ある夜、誘惑に耐えられず、つい薬に手を出した。

カルー卿惨殺はこの時のハイドの仕業で、数か月もの間抑圧されていた「悪」の人格がエネルギーを爆発させてしまったのだ。

戦慄した私はさらに断固たる決意で変身をやめ、暫く慈善事業に精を出すことにした。

それに成功したように思えていたが、1月の晴れた日の公園で、私はこんなにも善行に励んでいる。自分はもはや罪深くないだろうと考えていたところ、突然の吐き気、悪寒、めまいに襲われてハイドに変身した。


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