ジェーン・ディー・ハル
Jane Dee Hull
ハル(2019年)
アリゾナ州
第20代知事
任期
1997年9月5日 ? 2003年1月6日
前任者ファイフ・サイミントン
ジェーン・ディー・ハル(Jane Dee Hull、旧姓 バウアーソック(Bowersock)、1935年8月8日 - 2020年4月16日)は、アメリカ合衆国の政治家・教育者である。1997年、ファイフ・サイミントン(英語版)の辞任に伴い州務長官から第20代アリゾナ州知事に昇格した。1998年の州知事選挙に当選し、2003年まで務めた。同州の女性知事はローズ・モフォードに次いで2人目であり、選挙戦を通った女性知事は初だった。ハルは共和党に所属していた[1][2][3]。 ハルは1935年8月8日にミズーリ州カンザスシティでジェーン・ディー・バウアーソック(Jane Dee Bowersock)として生まれた。父のジャスティン・バウアーソックは『カンザスシティ・スター
若年期と政治家になるまでのキャリア
1954年にテリー・ハル(Terry Hull)と結婚した。2人はカンザス州に住み、夫が産科医になるための勉強をしている間、ジェーンは小学校の教師をしていた。1962年、一家はアリゾナ州のナバホ・ネイションに移り住み、ジェーンは4人の子供を育てながら、英語の教師をしていた。1964年にフェニックスに移り住んだ。
バリー・ゴールドウォーターの演説を聞いたことで政治に関心を持ち[1]、1964年の大統領選挙で共和党の候補となったゴールドウォーターの選挙戦にボランティアとして参加し[6]、共和党の女性グループと関わるようになった。 1978年、共和党からアリゾナ州下院議員選挙に出馬し、当選して政治家となった。下院議員を7期務め、そのうち2期は下院議長を務めた。女性の州議会議長は同州で初だった[7]。議長在任中の1991年、世界カイロプラクティック同盟
州下院議員
政治家の問題に対する姿勢を記録する非営利・無党派の組織である「オン・ザ・イシューズ(英語版)」は、ハルは中道的な共和党穏健派であったとみなしている[9]。ハルの行動は財政保守主義(英語版)的で社会的に穏健であるとみなされている[10]。
アリゾナ州知事
第1期(1997-1999年)空軍州兵の基地を視察するハル知事
1994年、ハルはアリゾナ州州務長官に選出された。共和党員がこの職に就くのは60年ぶりだった。
1997年9月5日、ファイフ・サイミントン(英語版)知事が銀行詐欺などの罪で有罪判決を受けたことにより辞任し、州務長官のハルが州知事に昇格した[11][注釈 1]。州知事の就任宣誓は、元アリゾナ州議会議員でもあるサンドラ・デイ・オコナー連邦最高裁判事に対して行われた。 1998年、初の州知事選挙を迎え、ハルは前フェニックス市長のポール・ジョンソン
1998年州知事選挙
1998年アリゾナ州知事選挙政党立候補者投票数%± ハルの知事在任中、同州選出の上院議員であるジョン・マケインとの関係が悪化していた。2000年の大統領選挙の共和党予備選挙において、ハルはマケインの対立候補であるテキサス州知事のジョージ・W・ブッシュを支持した[14]。 ハルが署名した法案は、2000年の代替燃料騒動の原因となった。これは、プロパンガスや天然ガスなどの代替燃料で走れるように改造すれば、新車を最大60パーセント引きの価格で購入できるというプログラムを導入する法律だった。しかし、このプログラムの対象となる購入者の数に適切な上限が設けられず、また、購入者に代替燃料の使用を義務付けることもなかった。このプログラムの導入には1千万ドルの費用がかかると試算されていたが、実際には2億ドルもの支出があり、後に法律が改正された[15]。
共和党ジェーン・ディー・ハル(現職)620,18860.95
民主党ポール・ジョンソン(英語版)361,55235.53
リバタリアン党キャサリン・"キャット"・ガラント27,1502.67
第2期(1999-2003年)