ジェーン・スー
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ジェーン・スー
出生名非公表
別名田之上美智(
参照
生誕 (1973-05-10) 1973年5月10日(51歳)
出身地 日本東京都文京区
学歴フェリス女学院大学文学部
職業作詞家
音楽プロデューサー
ラジオパーソナリティ
コラムニスト
作家
活動期間2009年 - (コラムニストとして)
事務所agehasprings
共同作業者玉井健二田中隼人Tomato n' Pinefumika
公式サイトジェーン・スー Profile|agehasprings - onetrap

ジェーン・スー(1973年5月10日 - )は、日本音楽プロデューサー作詞家コラムニストラジオパーソナリティ音楽クリエイターチームagehasprings」に所属。独身。自称「未婚のプロ」。血液型はO型。生まれも育ちも東京都文京区[1]
名前の由来

「ジェーン・スー」の名前は芸名であり、自称「生粋の日本人」。外国人割引されるプランがあったホテルに、外国人のふりをして宿泊した時に使った偽名mixiハンドルネームにし、そのまま芸名にした[2][3]。名前の由来は、とっさに思い付いたアメリカ留学経験時代のルームメイト「ジェーン・ウェルチ」からだが、アジア人で「ウェルチ」は、おかしいという判断で「スー」に変更。
来歴
幼少時代

貴金属業を営む家庭に生まれる。一人っ子。

2歳の頃から1年ほど、母の友人が運営していた幼稚園(プレスクール)に通園した後、駒込にある幼稚園に3年保育の予定で入園したが、校風が合わなかった。翌年、国立東京学芸大学附属である東京学芸大学教育学部附属幼稚園竹早園舎抽選により入園[4][5]、のびのびと育つ。この頃に本郷から小石川に引っ越しをした[6]。幼稚園からエスカレーター式に東京学芸大学附属竹早小学校[7]東京学芸大学附属竹早中学校内部進学をする。高校は内申点が不足していたため外部の学校を受験することになった[5]
学生時代

浦和明の星女子高等学校卒業後[8][9]フェリス女学院大学[10]文学部入学。大学在学中、早稲田大学サークルソウルミュージック研究会」に所属[2]。このサークルには、当時プロデビューする前のRHYMESTER宇多丸Mummy-Dは先輩、DJ JINは同期)がおり、旧知のサークル仲間である。

「ソウルミュージック研究会」のパーティーで、西麻布のクラブ「Yellow」でブラン・ニュー・ヘヴィーズの「Never Stop」を歌っていたところ、MELLOW YELLOWのKOHEI JAPANに認められ、1995年のアルバム「MELLOW YELLOW BABY」に3曲、ボーカリストとして参加している。大学在学中にアメリカのミネアポリスに1年留学。1995年に帰国。翌1996年に大学を卒業[5]
会社員時代

エピックレコードジャパンに入社。直後、センチメンタル・バス[11]葛谷葉子[12]、などの宣伝を担当。その後知人の紹介でユニバーサルミュージックに転職[13]。9年間勤務した後にメガネ販売会社(Zoff)へ転職、3年ほど商品企画から店頭施策まで携わる[14]。24歳の時に最愛の母が他界。その後、交際していた恋人と暮らすために実家を出る。
会社退職後

会社員時代の終わりには大失恋を経験して体重が25kg減る、というエピソードを持つ。35歳で退社。株で失敗して借金を負った父の元に戻り、家業を手伝う[5]。しかし、再び同居を始めた父とは折り合いが悪く、程なくストレスを抱え込むようになった。その後、父の事業の後始末をするにあたり実家を売却する手はずを整え、自身の貯金も注ぎ込む。再び、父とは別居することになった。
コラムニスト

mixiで書いていた日記が女性向けファッション雑誌GINGER』の編集者の目に留まったのがきっかけで、コラムを書くようになりコラムニストデビュー。後に雑誌やラジオなどへ進出するようになった[2]

しかし、定期的な文筆依頼があったわけではなく、コラムの連載も1年で終了し低迷期を迎える。当時のことを本人は「10円でも安いティッシュペーパーを求めて、ドラッグストアをハシゴした。買いたいも値段を見て買えなかった」[15]、と振り返っている。
音楽制作

かつてエピックレコードジャパン会社員時代、同じ社員であった玉井健二が2004年に独立し、設立した会社「agehasprings」の事務作業などを手伝うようになり、この時、通常業務ではない作詞も依頼されたのが、作詞家デビューのきっかけとなる。
ラジオ

ラジオ出演のきっかけは、旧知の仲であった高橋芳朗古川耕が、2011年TBSラジオで新番組を立ち上げるにあたり、コーナーゲストとして彼女に出演を依頼。番組を聞いていた局編成担当者の希望でその後も数回の出演をする。さらに『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』にゲストとして複数回の出演。そして『ザ・トップ5』のレギュラーコメンテーターとして抜擢され、2011年10月より3シーズンにわたって務める。『ザ・トップ5』の番組終了と同時に、2014年4月より2016年4月まで自身の冠番組となる『週末お悩み解消系ラジオ ジェーン・スー相談は踊る』のメインパーソナリティーとして出演。

2016年4月より毎週月曜日から木曜日の生放送番組『ジェーン・スー 生活は踊る』でパーソナリティーを務めている[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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