ジェームズ2世_(スコットランド王)
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ジェームズ2世
James II
スコットランド国王

在位1437年 - 1460年
戴冠式1437年3月25日

出生 (1430-10-16) 1430年10月16日
スコットランド王国ホリールード寺院
死去 (1460-08-03) 1460年8月3日(29歳没)
スコットランド王国、ロクスバラ城
埋葬 スコットランド王国ホリールード寺院
配偶者メアリー・オブ・グエルダース
子女一覧参照
家名スチュワート家
王朝スチュワート朝
父親ジェームズ1世
母親ジョウン・ボーフォート
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ジェームズ2世 (1440年頃)

ジェームズ2世(英語: James II、1430年10月16日 - 1460年8月3日)は、スコットランド王(在位:1437年 - 1460年)。ジェームズ1世ジョウン・ボーフォートサマセット伯ジョン・ボーフォートの娘)の子。
生涯

ジェームズ1世が暗殺されて6歳で王位に就いたが、実権はダグラス伯爵(英語版)一族に握られた[1][2]1449年、ジェームズ2世は自ら統治する年齢に達すると、ダグラス家と対決して、1452年2月22日には8代ダグラス伯ウィリアムをスターリング城で刺殺[3]ブレッチンの戦いなどで勝利した後、1455年のアーキンホームの戦い(英語版)で決定的打撃を与えた[4]。その後ジェームズ2世は、スコットランドの地位向上や軍隊の強化に努めた。1460年イングランドに占領されていたロクスバラ(Roxburgh)城の包囲戦のさなかに、大砲の暴発により命を落とした[5][6]
子女

1449年7月3日、ホリールード寺院ゲルデルン公アルノルト・ファン・エフモントの娘メアリーと結婚した[7]

息子(1450年、夭折)

メアリー(1451年 - 1488年) - 1.1467年頃にアラン伯トマス・ボイドと結婚、2.1474年に初代ハミルトン卿ジェームズと結婚

ジェームズ3世(1453年 - 1488年)

アレグザンダー(1454年 - 1485年) - オールバニ公

デイヴィッド(1455年 - 1457年) - マリ伯

マーガレット(1455年頃 - ?) - 3代クライトン卿ウィリアム・クライトンと結婚

ジョン(1459年 - 1479年) - マー伯

脚注^ 森、pp. 190 - 193
^ トランター、p. 166
^ 森、p. 197
^ 森、p. 198
^ 森、p. 201
^ トランター、p. 172
^ 森、p. 194

参考文献

森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年

ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年










スコットランド王(37代, 1437年 - 1460年)
アルピン朝

ケネス1世848-858

ドナルド1世(英語版)859-863

コンスタンティン1世(英語版)863-877

エイ(英語版)877-878

ギリック(英語版)878-889

ヨーカ(英語版)878-889

ドナルド2世889-900

コンスタンティン2世(英語版)900-942

マルカム1世(英語版)942-954

インダルフ(英語版)954-962

ダフ(英語版)962-967

カリン(英語版)967-971

ケネス2世(英語版)971-995

コンスタンティン3世(英語版)995-997

ケネス3世(英語版)997-1005

マルカム2世1005-1034

アサル朝

ダンカン1世1034-1040

マリ朝

マクベス1040-1057

ルーラッハ1057-1058

アサル朝

マルカム3世1058-1093

ドナルド3世1093-1094

ダンカン2世1094

ドナルド3世1094-1097

エドガー1097-1107

アレグザンダー1世1107-1124

デイヴィッド1世1124-1153

マルカム4世1153-1165

ウィリアム1世1165-1214


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