ジェームズ・レヴァイン
[Wikipedia|▼Menu]

ジェームス・レヴァイン
James Levine
ジェームス・レヴァイン
基本情報
生誕 (1943-06-23) 1943年6月23日
出身地 アメリカ合衆国オハイオ州
ハミルトン郡 シンシナティ
死没 (2021-03-09) 2021年3月9日(77歳没)
ジャンルクラシック音楽
職業指揮者
ピアニスト
担当楽器ピアノ
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

ジェームズ・ローレンス・レヴァイン(James Lawrence Levine, 1943年6月23日 - 2021年3月9日)は、アメリカ合衆国指揮者ピアニスト。愛称はジミー。
人物・来歴

ジェームズ・レヴァインは、1943年、オハイオ州シンシナティユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。祖父はシナゴーグの楽長、父親ラリー・レヴァイン(芸名ラリー・リー)はダンス・バンドのリーダー兼ヴァイオリニスト、母親ヘレン・レヴァインは女優。
概要
デビュー

幼児期からピアノを始め、10歳でシンシナティ交響楽団のユース・コンサートでデビュー。1956年にマールボロ音楽院でルドルフ・ゼルキンにピアノを師事。その翌年にはアスペン音楽院でヨゼフ・レヴィーンにも薫陶を受ける。1961年にジュリアード音楽院に入学、ジャン・モレルに指揮を学ぶ。ジュリアードを卒業後、ボルティモア交響楽団のプロジェクトに参加後、クリーヴランド管弦楽団ジョージ・セルの指揮見習いと助手を1970年まで務める。1970年にフィラデルフィア管弦楽団の客演指揮者として指揮者デビュー。同年オペラ指揮者としてもデビュー。アメリカのオケではシカゴ交響楽団と関係が深く、これまでラヴィニア音楽祭、シンシナティ五月音楽祭の音楽監督を務めた。
メトロポリタン歌劇場

メトロポリタン歌劇場と関係が非常に深い。ドナルド・キーンは、「私のようにMETを70年以上みてきた人間にとって、レヴァインの登場は絶対に無視できない現象であった。…かつて名歌手たちが綺羅星のごとく舞台に立っていた時代でさえ、オーケストラのレベルはひどいものであった。レヴァインがMETの監督になってからというものの、オケの響きが格段に精妙になった。これは実に驚くべきことで、今やコンサートオーケストラとしても一流と言っても過言ではないだろう。」

と語っている[1]。レヴァインは1971年6月の『トスカ』の記念公演で初めてこの劇場の指揮台に立ち、大成功をおさめた。その後も同劇場に出演を重ねる事となり、首席指揮者に任命される。1975年より音楽監督、1986年からは(同劇場で史上初の)芸術監督に就任。世界の大歌劇場、コンサートオーケストラとしても類をみない長期在任が現在まで続いた。

2017年、レヴァインは健康上の理由からメトロポリタン歌劇場芸術監督を退任するが、その後も同劇場名誉音楽監督の称号を得て同劇場での演奏を続けた。しかし、2018年に性的スキャンダル(後述)によってメトロポリタン歌劇場から解任された。

メトロポリタン歌劇場管弦楽団およびそのメンバーで編成された室内オーケストラは、忙しいオペラ公演の合間を縫って定期公演にも力をいれている。また、国際的な演奏旅行も行なっており、2002年には還暦記念公演として、メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団とワールド・ツアーを行い、日本では東京文化会館で公演している。メトロポリタン歌劇場においてレヴァインが取り組んできたレパートリーは非常に広範かつ多彩な演目である。同歌劇場におけるデビュー25周年記念事業では、この機会のために特別に委嘱されたジョン・ハービソンのオペラ『華麗なるギャツビー』が上演された。
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

1999年にセルジュ・チェリビダッケの死後空席になっていたミュンヘン・フィルの音楽監督に就任。メトロポリタン歌劇場を除き、レヴァインがオーケストラ専任の音楽監督を務めるのはこれが最初である。レヴァインはここを拠点にヨーロッパ音楽界での足掛かりとするはずであったが、団員のオーディションにも立ち会わず、リハーサルもきわめて短くオーケストラと過ごす時間が短い、などチェリビダッケと全く異なるレヴァインの音楽性が、批評家や観客からも不評を買い短い任期で終ってしまう。
ボストン交響楽団

2004年には小澤征爾の後任として、ボストン交響楽団の音楽監督にも就任した。この契約によって、アメリカ国内のオケへの客演は制限されるようになったものの、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団シュターツカペレ・ドレスデン等ヨーロッパの楽団には今も客演している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef