ジェームズ・コバーン
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ジェームズ・コバーン
James Coburn
1959年
本名James Harrison Coburn III
生年月日 (1928-08-31) 1928年8月31日
没年月日 (2002-11-18) 2002年11月18日(74歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ネブラスカ州ローレル
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ビバリーヒルズ
職業俳優
ジャンル映画テレビドラマ舞台
活動期間1958年 - 2002年
配偶者ビヴァリー・ケリー(1959年 - 1979年)
ポーラ・ミュラード(1993年 - 2002年)
著名な家族ジェームズ・ハリソン・コバーン・ジュニア
マイレット・S・コバーン
ジェームズ・コバーン4世
リサ・コバーン
主な作品
荒野の七人』(1960年)
大脱走』(1963年)
電撃フリントGO!GO作戦』(1966年)
夕陽のギャングたち』(1971年)
戦争のはらわた』(1977年)
白い刻印』(1998年)

 受賞
アカデミー賞
助演男優賞
1998年白い刻印
その他の賞

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ジェームズ・ハリソン・コバーン3世(James Harrison Coburn III [d?e?mz ?ko?b??rn, ?ko?b?rn]1928年8月31日 - 2002年11月18日)は、アメリカ合衆国出身の映画・テレビ俳優である。コバーンは45年間のキャリアを通して70を超える映画と100を超えるテレビドラマに出演した。幅広い役柄を演じた彼は『白い刻印』のグレン・ホワイトハウス役でアカデミー助演男優賞を受賞した。

荒野の七人』、『突撃隊』、『大脱走』、『ダンディー少佐』、『電撃フリントGO!GO作戦』、『夕陽のギャングたち』、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』といった西部劇やアクション映画で、荒削りの、歯を見せて笑うタフな男を演じることが多かった。

1960年代後半から1970年代前半にかけて彼は「クール」なイメージをもたれる。そして同年代のリー・マーヴィンスティーブ・マックイーンチャールズ・ブロンソンと同様に、彼は「タフガイ」のスターになった。アメリカで柔道を学び黒帯を取得、来日時には講道館を訪れた。また、ブルース・リーに武術、アクションを学んでいる。
来歴・人物
生い立ち

コバーンはネブラスカ州ローレルに生まれる。母親はマイレット・S(旧姓:ジョンソン)、父親はジェームズ・ハリソン・コバーン・ジュニアで彼は世界恐慌での失業者だった。コバーンはスコットランド=アイルランド系でありスウェーデン系でもあった[1]。彼はカリフォルニア州、コンプトンで育ち、コンプトン・ジュニア・カレッジ卒業後の1950年代、アメリカ陸軍に入隊した。軍隊で彼はトラック運転手や、テキサス州の陸軍ラジオの臨時DJとして働いた。また、彼はドイツマインツの陸軍訓練用フィルムのナレーションも務めた[2]。その後はロサンゼルス・シティ・カレッジでジェフ・コーリーステラ・アドラーから演技を学ぶ。そして彼はラ・ジョラ・プレイハウスでの舞台『ビリー・バッド』でデビューした[3]
キャリア荒野の七人』(1960年)

1959年、コバーンはランドルフ・スコット主演の西部劇 Ride Lonesome で悪役パーネル・ロバーツの手下役で映画デビューを果たした。他にもコバーンは数多くのテレビに出演した。テレビドラマ『ボナンザ』ではいくつかのエピソードに出演してロバーツと再び共演した。NBC制作ジョン・ペイン主演の西部劇ドラマ The Restless Gun では2つ以上のエピソードに登場した。また、1960年?1961年にかけて放送されたNBCのドラマ Klondike ではジョイ・ランシングやラルフ・テーガーと共演した。やがて Klondike が打ち切られるとコバーンとテーガーはNBCのメキシコを舞台とした探偵ドラマ Acapulco に出演した。他にもコバーンは『弁護士ペリーメイスン』に2度ゲスト出演した。

1960年代から1970年代にはコバーンはアクション・西部劇でタフガイ役で有名になっていた。ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』と『大脱走』ではスティーブ・マックイーンチャールズ・ブロンソンと共演する。彼は悪役の1人テックスを演じた『シャレード』(1963年)や口のうまい海軍将校役の『卑怯者の勲章』(1964年)、片腕のインディアン役の『ダンディー少佐』(1965年)などで有名になっていった。1966年、コバーンはジェームズ・ボンドのパロディ映画『電撃フリントGO!GO作戦』の主役で正真正銘のスターとなる。1971年にはセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタン夕陽のギャングたち』に出演する。この映画では、20世紀初頭のメキシコ革命の最中にメキシコに現れたアイルランドの爆弾のプロを演じた。1973年にはサム・ペキンパー監督と組んで『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(2人はすでに1965年の『ダンディー少佐』で共に仕事をしている)に出演した。その後も『戦争のはらわた』でペキンパーの映画に出演した。

1978年、コバーンはテレビに戻り、ダシール・ハメットの探偵小説『デイン家の呪い』の3部構成のミニシリーズに出演した。だが彼は関節リウマチにかかり、1980年代の出演作は数えるほどしかなかった。やがて彼は俳優に復帰し2002年にこの世を去るまでの間、仕事を続けた。初めのうちはテレビで活躍していたが『ヤングガン2』や『ハドソン・ホーク』、『天使にラブ・ソングを2』、『マーヴェリック』、『イレイザー』、『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』、『白い刻印』、『ペイバック』に出演し映画にも戻っていった。特に『白い刻印』でのコバーンの演技が認められアカデミー賞を受賞、全米映画俳優組合賞インディペンデント・スピリット賞にノミネートされた。
死去ジェームズ・コバーンのベンチ

2002年11月18日、コバーンは心筋梗塞で死亡する[4]


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