ジェームズ・ウォルフェンソン
個人情報
生誕 (1933-12-01) 1933年12月1日
オーストラリア、シドニー
死没 (2020-11-25) 2020年11月25日(86歳没)
アメリカ合衆国、ニューヨーク州マンハッタン
国籍 オーストラリア
ジェームズ・ウォルフェンソン(James Wolfensohn, 1933年12月1日 - 2020年11月25日)は、オーストラリア出身の経済学者。世界銀行グループ総裁(第9代)。 オーストラリアのシドニーで生まれ、後にアメリカ合衆国の市民権を獲得する。シドニー大学で学士号と法学学士号を取得し、ハーバード大学でMBAを得る。1956年のメルボルンオリンピックでオーストラリアのフェンシング・チームの一員として出場経験があり、またアメリカ芸術科学アカデミーとアメリカ哲学学会の研究員でもある。文化と芸術に関する活動もしており、1970年からニューヨークのカーネギー・ホール理事を務める。ニューヨーク近代美術館からデイヴィッド・ロックフェラー賞を贈られている。また1995年に、イギリス女王(オーストラリアの女王でもある)エリザベス2世からナイトが授与される。2004年にはベンジャミン・フランクリン・メダル、2006年には旭日大綬章を受章。2020年11月25日、アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタンの自宅で死去[1]。 ハーバード大学でMBAコースに入る前に、オーストラリア系の法律事務所で弁護士として活動したほか、航空士官としても勤務していたことがある。ハーバード大学卒業後、1981年には投資会社である「ジェームズ・D・ウォルフェンソン社」を設立し、社長兼最高経営責任者 (CEO) としてアメリカ国内外の企業に投資顧問業務を展開してきた。この投資会社設立以前にも、ニューヨークのソロモン・ブラザーズの取締役パートナーや同社投資銀行部門部長、ロンドンのシュローダーズ社の取締役副会長兼社長、ニューヨークのJ.ヘンリー・シュローダーズ・バンキング・コーポレーション社長、さらにオーストラリアの投資会社ダーリング&カンパニー・オブ・オーストラリア社の専務取締役を務めていた。 妻エレインはウェルズリー大学から学士号、コロンビア大学から修士号を取得しており、夫妻の間には3人の子供がいる。2020年8月に死去し[2]、3カ月後に後を追うようにジェームズもこの世を去った。
来歴
職歴
家族
出典^ “James D. Wolfensohn, who led World Bank through tumultuous decade, dies at 86”
^ “Elaine Wolfensohn, advocate for children, gender equity”
官職
先代
ルイス・トンプソン・プレストン世界銀行グループ総裁
1995年 - 2005年次代
ポール・ウォルフォウィッツ
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