ジェームズタウン_(ロードアイランド州)
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ジェームズタウン
Jamestown, Rhode Island
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ロードアイランド州におけるニューポート郡(ピンク)とジェームズタウン町(赤)の位置
座標: 北緯41度31分 西経71度22分 / 北緯41.517度 西経71.367度 / 41.517; -71.367
アメリカ合衆国
 ロードアイランド州
ニューポート郡
面積
 - 計35.3mi2 (91.5km2)
 - 陸地9.7mi2 (25.1km2)
 - 水面25.6mi2 (66.4km2)
標高167ft (51m)
人口 (2010年)
 - 計5,405人
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
 - 夏時間東部夏時間 (UTC-4)
郵便番号02835
市外局番401
FIPS code44-36820[1]
GNIS feature ID1220061[2]

ジェームズタウン(: Jamestown)は、アメリカ合衆国ロードアイランド州の東部ニューポート郡の西側、ナラガンセット湾では2番目に大きな島であるコナニカット島にほとんど全域が位置する町である。2010年国勢調査では人口5,405 人であり、州内39市町のうち人口では少ない方から4番目である。
目次

1 歴史

1.1 インディアン

1.2 ヨーロッパ人の到着

1.3 アメリカ独立戦争

1.4 18世紀と19世紀

1.5 20世紀の始まりから現在


2 地理

3 人口動態

3.1 収入


4 地質史

5 大衆文化の中で

6 国家歴史登録財と見どころ

7 脚注

8 外部リンク

歴史
インディアン

今から約1万年ないし1万2千年前、最終氷河期が終わるときに、現在のジェームズタウン地域に人類が入って来て、小川や川の近くに定着した。氷河が融けているときであり、海面が上がり、低地を海水で満たし、ナラガンセット湾ができた。この海面上昇によって人類は高度の高い場所へ移動し、初期に住んでいた場所の名残の大半が水没した。コナニカット島で見つかった最古の人工物は紀元前3000年頃のものとされている。
ヨーロッパ人の到着

1524年、イタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノとその乗組員がナラガンセット湾を訪れた。1636年あるいは1637年、「ダッチ島」が毛皮交易業者に使われていた。1638年、イングランド人がコナニカット島を羊の放牧に使うよう手配した。 最初のジェームズタウン橋、1940年から解体された2006年まで、ジェームズタウンとノースキングスタウンを繋いだ

1675年までにコナニカット島とニューポートの間で渡し船が運航されるようになった。1678年、コナニカット島がジェームズタウンの町として法人化された。この時の人口は約150人だった。町名はヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世、1685年就位)にちなんで名付けられた[3]

1710年までに、コナニカット島の現在ある道路の多くが配置されていた。1728年、ジェームズタウンの町はトウモロコシを挽くために風車を建設した。島には水車を回すような水源が無かったので海からの風力を使った。
アメリカ独立戦争

1775年12月10日、イギリス兵とドイツ人傭兵200名がコナニカット島イーストフェリーに上陸し、ウェストフェリーまで行軍して、船着き場の家を焼いた。この部隊がイーストフェリーまで戻るときに、14軒の家屋など多くの建物を破壊した。このために556人居たコナニカット島住人のうち200人以上が本土に逃亡した。

1776年12月、イギリス艦隊がナラガンセット湾に到着し、ニューポートを占領した。イギリス軍はダンプリング砦(現在はウェザリル砦の一部)の植民地民兵の砲台と、ビーバーテイルのコナニカット砲台(ゲティ砦のすぐ南、バッテリー・レーンの外れ)を奪った。イギリス軍は1779年10月にナラガンセット湾を去った。その去っていくときに、占領していた要塞を破壊し、ビーバーテイル灯台を燃やし尽した。
18世紀と19世紀

1784年までにビーバーテイル灯台は運営を再開できるまで修復された。1787年、ジェームズタウンは、イギリス軍の占領の間に破壊されていたジェームズタウン風車とクエーカー集会所を再建した。 ジェームズタウン風車、1787年再建

1800年、イースト・パッセージを見下ろしていた以前の要塞の跡にダンプリング砦が建設された。最も高い崖の上に建てられた高い石造りの塔には8門の大砲を備えられた。

1872年、ジェームズタウンの町は蒸気駆動のフェリー船を発注した。1873年5月、ジェームズタウンとニューポートの間でフェリーの運航が始まった。ニューポートとの間に信頼でき快適なフェリーが使えるようになり、農業主体のコナニカット島に著しい影響を与えた。ジェームズタウンは日帰り旅行や夏の休暇の目的地になった。

1880年代と1890年代は建設ブームとなり、ホテル、個人用夏の家、町政府の建物などが建てられた。島の人口は1870年から1900年の間に3倍になった。
20世紀の始まりから現在

1890年から第一次世界大戦が終わるまで、軍隊の要塞づくりが盛んに行われた。1898年に始まった米西戦争がその触媒となった。ダッチ島のグレブル砦建設が始まった。陸軍省がゲティ砦の用地31エーカー(130,000 m2) を買収し、砦を急速に建設した。ウェザリル砦を建設するためにダンプリング砦近くの夏の家が接収された。コナニカット砲台近くのプロスペクトヒルでさらに土地が取得され、見張り所と消防署が造られた。政府はグールド島に機雷保管所と試験施設を設立した。その後第一次世界大戦の終戦時にコナニカット島要塞は使用されなくなった。 ジェームズタウン・ベラッツァーノ橋、1992年建設、ジェームズタウンとロードアイランド州本土とを繋いだ

一方で、ジェームズタウンは夏の観光地として繁栄するようになった。1903年にはホテルが9軒あった。しかし、大型リゾートの全盛期はジェームズタウンでも他の場所でも短期間だった。1920年代に羽振りの良かった客が急速に減少した。1938年にはソーンダイク・ホテルが解体された。

1938年、大型ハリケーンのために、ナラガンセット湾地域で多くの物的損害を受け、300人以上の人命が失われた。マッカレルコーブ・ビーチから砂の多くを取り去り、人気のあったビーチ・パビリオンを破壊した。ウェストフェリーの船着き場を破壊したことで、本土のサンダースタウンとを繋ぐ橋の建設承認を加速させた。初代のジェームズタウン橋は1940年夏に開通し、西部への通行が日夜可能になったことで、フェリーの運航に代替することになった。

1941年、大型ホテルの1つ、ガードナー・ハウスが数年間使われなくなっていた後で、取り壊された。その跡にUSOビルが建設された。戦後、このビルは町が買収し、現在はコミュニティセンターと呼ばれている。2002年に広範な庭園を造り、改修された。

第二次世界大戦によって、コナニカット島のゲティ砦やウェザリル砦、ダッチ島のグレブル砦、ゴート島の機雷工場、グールド島の機雷保管所などナラガンセット湾周辺の軍事基地を設立し、再度活性化された。


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