ジェンソン・バトン
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ジェンソン・バトン
バトン (2012年バーレーンGP)
基本情報
フルネームジェンソン・アレクサンダー・ライオンズ・バトン
国籍 イギリス
( イングランド)
出身地同・サマセット州フローム
生年月日 (1980-01-19) 1980年1月19日(39歳)
F1での経歴
活動時期2000-2017
所属チーム'00 ウィリアムズ
'01 ベネトン
'02 ルノー
'03-'05 B・A・R
'06-'08 ホンダ
'09 ブラウンGP
'10-'17 マクラーレン
出走回数309 (306スタート)
タイトル1 (2009)
優勝回数15
表彰台(3位以内)回数50
通算獲得ポイント1,235
ポールポジション8
ファステストラップ8
初戦2000年オーストラリアGP
初勝利2006年ハンガリーGP
最終勝利2012年ブラジルGP
最終戦2017年モナコGP
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ジェンソン・アレクサンダー・ライオンズ・バトン(Jenson Alexander Lyons Button, MBE 1980年1月19日 - )は、イギリス出身のレーシングドライバー。2009年フォーミュラ1および2018年SUPER GTのチャンピオンである。
目次

1 出生

2 初期の経歴

2.1 カート

2.2 フォーミュラ・フォード

2.3 フォーミュラ3

2.4 F1テスト


3 F1における経歴

3.1 ウィリアムズ

3.2 ベネトン/ルノー

3.2.1 2001年

3.2.2 2002年


3.3 B・A・R

3.3.1 2003年

3.3.2 2004年

3.3.3 2005年


3.4 ホンダ

3.4.1 2006年

3.4.2 2007年

3.4.3 2008年


3.5 ブラウンGP

3.5.1 2009年


3.6 マクラーレン

3.6.1 2010年

3.6.2 2011年

3.6.3 2012年

3.6.4 2013年

3.6.5 2014年

3.6.6 2015年

3.6.7 2016年

3.6.8 2017年



4 SUPER GT

5 WEC

6 その他のカテゴリ

7 エピソード

8 レース戦績

8.1 略歴

8.2 イギリス・フォーミュラ3選手権

8.3 スパ・フランコルシャン24時間レース

8.4 F1

8.5 SUPER GT

8.6 ル・マン24時間レース

8.7 FIA 世界耐久選手権


9 出典

10 外部リンク

出生

イングランドサマセット州フローム生まれ。父親のジョン・バトンはラリークロスで名を馳せた人物で、1976年にはRACイギリスラリークロス選手権でランキング2位を獲得したことがある。父親のラリークロス時代のデンマーク人の友人アーリング・ジェンセンにちなんで命名されたが、ジェンセン・モーターズと区別するために一字だけ変えられた[1]
初期の経歴
カート

幼い頃からモータースポーツに魅了されており、非常に活発な男の子だったが、テレビでレースを観戦しているときだけはじっとしていられた。8歳のクリスマスプレゼントとして父からもらった60ccのゴーカートでカートレーシングに出場し優勝[1]。ここからキャリアを始めた。

このときまでに両親は離婚しており、以後は父親と二人で暮らしながら彼のサポートを受けてキャリアを続けるが、母親、ナターシャ、サマンサ、ターニャという3人の姉とも親しくしていた。レース資金の調達には他のドライバーの家庭同様苦労しており、父親は息子のドライビングをコーチする傍ら、カートエンジンの調整ビジネスを行った。ジョン・バトンの顧客の中には、ルイス・ハミルトンの父親アンソニーもおり[1]、後にF1ワールドチャンピオン同士としてマクラーレンでチームメイトとなる2人がジョン・バトンの調整したエンジンを使用していた。

幸いにして苦労は実り、1991年のイギリス・カデット・カート選手権では同選手権の34戦を全勝するという圧倒的な成績でタイトルを獲得し、プロのイタリアチームと契約することができた。その後も、全英オープンカート選手権を3度に渡って制するなど活躍を続け、1997年にはカートスーパーAクラス・ヨーロッパ選手権を史上最年少(17歳)で制し、アイルトン・セナ・メモリアルカップを受賞した。
フォーミュラ・フォード

1998年に四輪にステップアップし、ヘイウッドレーシングからイギリス・フォーミュラ・フォードに参戦した。初年度ながら9勝を収め、この年のタイトルを獲得した。ブランズハッチで開催されたフォーミュラ・フォードの国際レース、フォーミュラ・フォード・フェスティバルにおいても、当時アメリカ選手権に参戦していたダン・ウェルドンを破って優勝を飾っている。

年末にはこの年のマクラーレン/オートスポーツ・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、翌年マクラーレンのF1カーをテストする特典を得た。
フォーミュラ3

翌1999年はイギリスF3に参戦し、参戦初年度ながら3勝を挙げ、年間ランキングでもルーキーとしては最上位となる3位に食い込む活躍を見せた(この年のタイトルはマーク・ハインズ、2位はルチアーノ・ブルティ)。

国際レースにおいては、マールボロ・マスターズにおいて5位、マカオグランプリにおいては優勝したダレン・マニングからわずか0.035秒遅れの2位という、初年度のドライバーらしからぬ結果を残した。

この当時、日本のレース専門誌「オートスポーツ」(三栄書房)に連載の寄稿を行っていた。
F1テスト

この年9月、前年の特典としてマクラーレンのテストに参加し初めてF1カーを運転した。続けて、アラン・プロストから直々にオファーを受け参加したプロスト・グランプリのテストドライブでは、レギュラードライバーのジャン・アレジを上回るタイムを記録し注目された。

このF1デビューの際、彼は英国における運転免許を保持していなかったため、父親にサーキットまで運転してもらっていたという。
F1における経歴
ウィリアムズ

2000年の初め、F1の名門チームウィリアムズアレックス・ザナルディの代役を決めるため開催したトライアウトに、チーム代表のフランク・ウィリアムズからオファーを受けて参加した。そしてブラジル人ドライバーのブルーノ・ジュンケイラとの激しい争いの末、ウィリアムズのレギュラーシートを勝ち取った。20歳という異例の若さでのシート獲得だった。

開幕戦オーストラリアGPは、予選21番手と冴えないものであったが、決勝のスタートダッシュで5人抜きをしてチームメイトのラルフ・シューマッハの後ろにつけ、46周目にリタイアするまでにポジションを6位まで上げるなど非凡な才能をみせる。デビュー2戦目のブラジルGPの予選ではラルフよりも速い予選9番手を獲得。決勝ではデビッド・クルサードの失格もあり繰り上がりながら、6位初入賞を果たした。この入賞は1962年ベルギーGPにおいてリカルド・ロドリゲスが記録した20歳123日という最年少入賞記録をほぼ40年振りに塗り替えるものであり、バトンが記録した20歳67日という記録は2007年アメリカGPセバスチャン・ベッテルに抜かれるまで記録を保持し続けた。その後もオーストリアGPベルギーGP日本GPでも5位入賞。ドイツGPにおいては4位入賞を果たすなど、計12ポイントを獲得しランキング8位という成績を残した。 ベネトンB201をドライブするバトン
ベネトン/ルノー
2001年

続く2001年シーズンについてもウィリアムズとの契約が残っていたが、ウィリアムズはCARTチャンピオンのファン・パブロ・モントーヤがチームに加入したことを受け、バトンをベネトンレンタル移籍させる決断を下した。

この年のベネトン・B201は戦闘力に欠ける車で、特にエンジンのパワー不足が響いて予選スピードに大きな影響を与えてしまい、第4戦サンマリノGPから第6戦オーストリアGPまで3戦連続で予選21番手を記録してしまうとほどであった。(予選最下位22番手はいずれもミナルディタルソ・マルケス)シーズン中唯一の入賞となったドイツGPでも予選18番手から完走10台というサバイバルレースを生き残っての5位入賞であった。終盤3戦の第15戦イタリアGP以降、予選スピードは改善されたが決勝でのパフォーマンス改善にはいたっておらず、この年の獲得ポイントは2ポイントに終わり、ランキングも17位に沈んだ。チームメイトのジャンカルロ・フィジケラ3位表彰台を含む3回の入賞を果たした結果からいけば、惨敗であったがチームメイトとダブルリタイアをしたレースが3回で、互いに6度のリタイアをしておりフィジケラ共々に非常に苦しいシーズンをおくった。
2002年

2002年は前年にベネトンを買収したルノーが自社のフルワークスチーム、ルノーF1を復活させ、生まれ変わった同チームから引き続き参戦することとなる。チームメイトはフィジケラに代わってヤルノ・トゥルーリとなった。予選ではトゥルーリに先行を許したもののレースペースでは終始トゥルーリを上回り、計14ポイントを獲得しランキングも7位とした。しかしながら、3位走行中だったにも関わらずファイナルラップでトラブルによる失速を余儀なくされ表彰台を逸したマレーシアGP、続くブラジルGPと4位を2回記録したものの、F1での初表彰台には届かなかった。

このシーズンはチームメイト以上の活躍は見せたものの、チームは翌年に向け、テストドライバーのフェルナンド・アロンソを昇格させることを決め、押し出される形でチームからの離脱を余儀なくされた。


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