ジェロム・レ・バンナ
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ジェロム・レ・バンナ

本名ジェロム・フィリップ・レ・バンナ
(Jerome Philippe Le Banner)
生年月日 (1972-12-26) 1972年12月26日(51歳)
出身地 フランスセーヌ=マリティーム県ル・アーヴル
通称K-1の番長
無冠の帝王
黄金の左
進化し続けるハイパー・バトルサイボーグ
ワンマッチ最強
ジェロニモ
ノルマンディーのブルドッグ
(The Bulldog of Normandy)
国籍 フランス
身長190 cm (6 ft 3 in)
体重120 kg (265 lb)
階級スーパーヘビー級 (キックボクシング)
ヘビー級 (MMAボクシング)
リーチ201 cm (79 in)
スタイルムエタイ截拳道極真空手柔道
スタンスサウスポー
拠点 フランスセーヌ=マリティーム県エトルタ
チームBorboel & Tosa Gym
Le Banner Xtream Team
ドージョー・チャクリキ
ランク極真空手 (黒帯)
柔道 (黒帯)
現役期間1992 ? 現在 (キックボクシング)
1998 ? 現在 (ボクシング)
2001 ? 現在 (MMA)

総合格闘技記録
試合数7
勝利4
ノックアウト4
敗戦3
タップアウト2
判定1

キックボクシング記録
試合数111
勝利86
ノックアウト70
敗戦22
ノックアウト13
引き分け2
無効試合1

プロボクシング記録
試合数6
勝利6
ノックアウト5
その他
ウェブサイト ⇒www.lebannerofficial.com
総合格闘技記録 - SHERDOG
ボクシング記録 - BoxRec
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ジェロム・レ・バンナ
YouTube
チャンネル

JLBOfficial

活動期間2008年10月29日 -
ジャンルスポーツ
登録者数4.71万人
総再生回数2,8747,448回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年1月時点。
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ジェロム・レ・バンナ[1]: Jerome Le Banner、1972年12月26日 - )はフランスセーヌ=マリティーム県ル・アーヴル出身のキックボクサー総合格闘家俳優。Le Banner X tream Team/MMAファクトリー所属。

K-1屈指のハードパンチャーであり、常にKO勝ちを狙うファイトスタイルや歯に衣着せぬ言動からK-1の番長と呼ばれた[2]。右利きだが構えはサウスポーで、得意技の左ストレートは黄金の左と称される。
来歴
生い立ち?K-1参戦まで

元プロボクシング国内ヘビー級王者で、“Normandy Bull(ノルマンディーの闘牛)”の異名を持つ父フィリップに憧れたレ・バンナはボクシングかキックボクシングをやりたがっていたが、母親の猛烈な反対に遭い、自らの意思でフルコンタクトのクラブに入会できる18歳になるまで出来なかった。代わりに6歳から14歳まで柔道を学び、優秀な成績を残していたが、ある試合で不当な判定に対して父親が審判に不服を訴えたことがきっかけで柔道の世界から退くことになる。なお、得意の柔道技は大外刈りであった。14歳の時に映画ドラゴン怒りの鉄拳』を見てブルース・リーに憧れ、空手ジークンドーを学び、右利きだがブルース・リーにあやかってサウスポーに構えて、コンバーテッド・サウスポーとなった。

18歳で念願叶ってキックボクシングを始め、早くから頭角を現し、20歳の時にISKAフルコンタクト・フランス王座を獲得。さらに1994年4月16日にはアンディ・マヨにKO勝ちしてISKAヨーロッパ王座を、アンドレ・ブァン・ブァーレンにKO勝利してRCFA世界スーパーヘビー級王座を獲得。そして南アフリカケープタウンで行われたISKAインターコンチネンタル王座戦でマイク・ベルナルドと対戦し、激闘の末に判定勝利し同王座を獲得。この試合をK-1主催者が高く評価したため、K-1に参戦することになった。
K-1参戦

1995年3月3日、「K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦」に出場。それまでローキック禁止のフルコンタクトルールを主戦場としてきたレ・バンナにとってローキック有りのルールはこの試合が初めてであったが、タイのムエタイ戦士ノックウィー・デービーを3-0の判定勝ちで下し、決勝トーナメント進出を決める。

5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」では準々決勝で佐竹雅昭に左ストレートで3ラウンドKO勝ち。準決勝でマイク・ベルナルドと再戦し、ベルナルドの膝蹴りを浴びて鼻を骨折しながらもローキックを効かせて2ラウンドKO勝ち。決勝戦で前年度K-1 GP王者ピーター・アーツに1ラウンドKO負けし準優勝。準決勝のベルナルド戦で負った鼻の骨折は現在でも完治しない古傷となっている。

その後の約1年間は兵役につきながらK-1に参戦した。12月9日、K-1 HERCULESにてアンディ・フグと対戦し判定負け。

1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦」に出場。GP1回戦でミルコ・タイガーと対戦し、判定負け。

4月に兵役を終え、6月1日、パリで行われたISKAムエタイ世界スーパーヘビー級タイトルマッチのカーチス・シュースター戦に判定勝利し、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座を獲得。

10月18日、K-1 STAR WARS '96にて、アーネスト・ホーストと対戦、2ラウンドKO勝利。

12月8日、K-1 HERCULES '96にて、サム・グレコと対戦。パワー溢れるハードパンチャー同士の対戦とあって打ち合いが期待されたが、引き分けとなった。

1997年2月1日、フランスで行われたISKAムエタイ世界スーパーヘビー級タイトルマッチのモーリス・スミス戦に判定勝利し、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。


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