ジェリー・ディポート
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ジェリー・ディポト

ジェリー・ディポート
Jerry Dipotoシアトル・マリナーズ 野球運営部門社長
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニュージャージー州ジャージーシティ
生年月日 (1968-05-24) 1968年5月24日(56歳)
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1989年 ドラフト3巡目
初出場1993年5月11日
最終出場2000年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


クリーブランド・インディアンス(1993 - 1994)

ニューヨーク・メッツ(1995 - 1996)

コロラド・ロッキーズ(1997 - 2000)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ジェラルド・ピーター・ディポート(Gerard Peter Dipoto, 1968年5月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロ野球選手。現在はシアトル・マリナーズの野球運営部門社長を務めている[1]ボストン・レッドソックスのスカウト、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウト・選手人事部長、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、シアトル・マリナーズのゼネラルマネージャーを務めた。
経歴
プロ入りまで

ディポートは父ジェラルド、母バーバラのもとに生まれ、2人の兄弟マークとロリがいる。ニュージャージー州トムズリバーのトムズリバー北高校(英語版)とバージニアコモンウェルス大学(VCU)の野球チームVCUラムズに所属した。
プロ入り

1989年のMLBドラフトクリーブランド・インディアンスから3巡目に指名され[2]、1993年にメジャーデビューする。

1994年のシーズン終了後に、ジェロミー・バーニッツ、ジョー・ロア(英語版)とのトレードでポール・バード、デイブ・ムリッキ(英語版)とマイナーリーグ選手1名とともにニューヨーク・メッツに移籍した[3]

1996年のシーズン終了後に、アーマンド・レイノソ(英語版)とのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍した[4]
プロ引退後

2001年に引退を決断したディポートは、コロラド・ロッキーズのフロントオフィスで当時ゼネラルマネージャーだったダン・オダウド (英語版)の特別補佐に就任した[5]

2003年ボストン・レッドソックスのゼネラルマネジャーだったセオ・エプスタインのもとでスカウトを務め、2004年にはレッドソックスがワールドシリーズを制覇し、フロントオフィスの一員として名を連ねた[6]

2005年コロラド・ロッキーズにスカウト部長として復帰。2006年、ディポートがロッキーズの選手だった時代に、アシスタント・ゼネラルマネジャーを務めていたジョシュ・バーンズ(英語版)が、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのゼネラルマネージャーに就任すると、ディポートはバーンズと共にアリゾナへと飛び、ダイヤモンドバックスのスカウト兼選手人事部長に就任した。2010年7月1日にバーンズが解任されると、ディポートが暫定ゼネラルマネージャーに就任[7]。9月22日にケビン・タワーズが正式なゼネラルマネージャーとして就任したが、ディポートはダイヤモンドバックスに残留した[8]

2011年10月28日、トニー・リーギンスの後任としてロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムのゼネラルマネージャーに就任した[9]。オーナーのアルテ・モレノ(英語版)は、「ジェリーをGMにしたのは、彼の野球に対する分析手法がとても気に入ったことが理由の1つだ」と述べている。しかし、監督のマイク・ソーシアはチームの意思決定における分析の使用に関して異を唱え、2人の間に亀裂が生じ始めた[10]2012年5月15日、チームの打撃不振を理由にソーシアの友人でもあったミッキー・ハッチャー打撃コーチをディポートが解雇し両者の対立が表面化[11]2013年には「エンゼルスは監督とGMのどちらを選ぶのか?」という事態にまで発展した[11][12]。オフシーズンにミーティングを重ね、2014年1月にはフロントオフィスとコーチングスタッフ全員の本格的な首脳会議を開催するなど両者は和解、シーズンでは5年ぶりのプレーオフ進出を果たすなど光明が差した[10]。しかし2015年シーズン、フロントオフィスが作成した統計リポートの一部を、ソーシアやコーチ陣が選手に配布していなかった事が判明し[13]、ディポートとソーシアの対立がより深刻化。7月1日に辞任する事となった[14]

2015年8月12日、ボストン・レッドソックスの顧問に就任した[15]

2015年9月28日、ジャック・ズレンシックの後任としてシアトル・マリナーズのゼネラルマネージャーに就任した[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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