ジェリー・ガルシア
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ジェリー・ガルシア

基本情報
出生名Jerome John Garcia
生誕1942年8月1日
カリフォルニア州サンフランシスコ
死没1995年8月9日(1995-08-09)(53歳)
カリフォルニア州ラグニタス=フォレスト・ノールズ
ジャンルサイケデリック・ロック, ブルースロック, フォークロック, ジャム, ブルーグラス, プログレッシブ・ロック, ジャズ
職業ミュージシャン, 作曲家
担当楽器ギター, ヴォーカル, ペダルスティール・ギター, バンジョー, ベースギター
活動期間1960年-1995年
レーベルライノ, アリスタ, ワーナーブラザース, アコースティック・ディスク, グレイトフル・デッド
共同作業者グレイトフル・デッド, リージョン・オブ・マリー, レコンストラクション, ジェリー・ガルシア・バンド, オールド・アンド・イン・ザ・ウェイ, ジェリー・ガルシア・アコースティック・バンド, ニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セイジ, ガルシア・グリスマン・バンド
公式サイト ⇒JerryGarcia.com
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター "アリゲーター"
ダグ・アーウィン-モディファイド・アレンビック "ウルフ"
ギブソン・SGs
ギルド・スターファイヤ
1957年 ギブソン・レスポール
ゴールドトップ・レスポール・ウィズ P-90
ダグ・アーウィン・カスタム "タイガー"
ダグ・アーウィン・カスタム "ローズバッド"
スティーブン・クライプ・カスタム "ライトニング・ボルト", マーティン・D-28, タカミネ・アコースティック-エレクトリック・ギター
トラヴィス・ビーン TB1000S, TB500[1]

ジェローム・ジョン「ジェリー」ガルシア(Jerome John "Jerry" Garcia, 1942年8月1日 - 1995年8月9日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。グレイトフル・デッドのリードギタリストであり、1960年代のカウンターカルチャーの象徴としてよく知られる[2][3]。ガルシア自身はその役割を否定したが、グレイトフル・デッドのリーダーまたは「スポークスマン」と見なされた[2][3][4][5]

グレイトフル・デッドの創立者の1人として、ガルシアは30年のキャリアをバンドと共に過ごした。彼はまた、多様な各種のサイドプロジェクトに参加し、その中には長年の友人マール・サンダースと結成したサンダース-ガルシア・バンド、ジェリー・ガルシア・バンド、オールド・アンド・イン・ザ・ウェイ、ガルシア/グリスマン、リージョン・オブ・マリー、ニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セイジ(ジョン・ドーソン、デヴィッド・ネルソンと共に結成)が含まれる[2]。彼はまた何枚かのソロアルバムをリリースし、多くの他のミュージシャンのアルバムにセッションミュージシャンとして参加した。彼はその卓越したギター演奏で知られ、ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第13位、2011年の改訂版では第46位に選ばれている[6]

後年ガルシアは糖尿病に苦しみ、1986年には糖尿病性昏睡で生死の淵をさまよった。その後症状は多少改善したが、彼はこの他にもヘロインコカイン中毒でも苦しみ[4][5]、1995年8月、カリフォルニアの薬物リハビリ施設に入院中に心臓発作のため死去した[3][5]
生い立ち及び幼年期

ガルシアの父側の先祖はスペイン北西部のガリシア州出身であり、母側の先祖はアイルランド及びスウェーデン出身であった[7]。ガルシアは1942年8月1日、カリフォルニア州サンフランシスコでホセ・ラモン「ジョー」ガルシアおよびルース・マリー「ボビー」(旧姓クリフォード)ガルシア夫妻の間に生まれる[8][9][10]。母親もサンフランシスコ生まれであった[7]。両親は作曲家のジェローム・カーンに因んで彼を名付けた[8][11][12]。ジェローム・ジョンは夫妻の二番目の子どもで、兄のクリフォード・ラモン「ティフ」は1937年に生まれていた[13][14]。クリフォードの誕生直前に、父親とそのパートナーはサンフランシスコのダウンタウンにあるビルを借りてバーに改装したが、これは届け出の無い事業であったため、ホセはミュージシャン組合から排斥された[15]

ガルシアは幼い頃から音楽の影響を受け[16]、子ども時代に多くのピアノレッスンを受けた[17]。父親はプロのミュージシャンを引退し、母親はピアノの演奏を楽しんだ[8]。父親の家族(1919年にスペインから移住した)は増え、しばしば一緒に歌った[14]

ガルシアが4歳のとき[18][19]、一家はサンタクルーズ山脈で休暇を過ごしていたが、ガルシアは事故で右手中指の2/3を失った[20][21]。ガルシアと兄のティフは木材を切り刻んでいた。ティフが斧を持ち、ガルシアは木を押さえていた。ガルシアの手が木の近くを押さえていたため、ティフは誤って指を切り落としてしまった[22]。母親はすぐに彼の手をタオルで包み、父親は近くの病院まで30マイル以上を運転して行った[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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