ジェリコ・コムシッチ
?eljko Kom?i?
ジェリコ・コムシッチ
ボスニア・ヘルツェゴビナ
大統領評議会議長
任期2023年7月16日 – 2024年3月16日
首相ボリャナ・クリシュト
ジェリコ・コムシッチ(クロアチア語: ?eljko Kom?i?、発音 [?e?ko kom?it?]、1964年1月20日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治家。現在、同国の大統領評議会でクロアチア人代表を務めており、議長を7回務めた。以前は社会民主党の急先鋒であったが、同党が連邦議会の多数派形成でクロアチア民主同盟と合意に達した2012年7月に離党した[1]。
主としてボシュニャク人から選ばれたため、クロアチア人の間では彼を不正な代表とする見方がある[2][3][4]。 サラエボ大学で法学士号を取得し、ワシントンD.C.のジョージタウン大学エドマンド・A・ウォルシュ外交大学院に学んだ弁護士である。ボスニア紛争でボスニア・ヘルツェゴビナ共和国陸軍に従軍した経験があることから、同国最高位の軍人勲章である黄金の百合勲章を受章している[5][6]。戦後ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (SDP-BiH) に入党して政治活動をはじめ、ノヴォ・サラエヴォ市の市会議員となった。2000年に同市市長に選ばれた後、サラエヴォの副市長を2年務めた。1998年に民主変革同盟が政権をとると、駐ユーゴスラビア大使に任命されベオグラードに赴任したが、SDPが再び野党に転落した2002年の総選挙後に退任した。コムシッチは、社会民主党に3人いる副代表のひとりである[要出典]。 2006年の総選挙で、コムシッチはSDPからクロアチア人大統領に立候補した。結果、投票総数の39.6%にあたる11万6062票を獲得し[7]、クロアチア民主同盟 (HDZ) のイヴォ・ミロ・ヨヴィッチ
経歴
大統領評議会
大統領評議会のボシュニャク人代表であるハリス・シラジッチは2008年5月、訪問先のワシントンD.C.で、「ボスニア・ヘルツェゴビナにはひとつの言語しか存在せず、それに三つの名前があるだけだ」と述べた。この声明は、クロアチア人政党やスルプスカ共和国のミロラド・ドディク首相から否定的に受け止められた。コムシッチはこれに対して、彼はそのようなことをいう立場にはないと反論した[8]。
2010年に国立民主研究所が行った調査によると、ボシュニャク人の間で最も人気のある政治家はコムシッチである[9]。同年の総選挙でも全体の60.6%の33万7065票を獲得し、HDZのボリャナ・クリシュト(英語版) (19.7%) 、クロアチア連合 (HK) のマルティン・ラグジュ (10.8%) 、NSRBのイェルコ・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.1%) 、ペロ・ガリッチ (0.3%) 、ミレ・クトレ (0.2%) 、フェルド・ガリッチ (0.2%) を下して再選を果たした[10]。
2022年10月2日執行の総選挙(英語版)で大統領評議会のクロアチア系メンバーに再選[11]。12月22日に大統領評議会は次期閣僚評議会議長(首相)にクリシュトを選出したが、クロアチア人代表の座を争ったコムシッチは反対票を投じた[12]。
脚注^ Kre?i?, Zoran (2012年7月23日). ⇒“Kom?i? napustio SDP zbog sporazuma s HDZ-om” (Croatian). Ve?ernji list. ⇒http://www.vecernji.hr/vijesti/komsic-napustio-sdp-zbog-sporazuma-hdz-om-clanak-434378 2012年7月30日閲覧。
^ a b Vogel, T. K. (2006年10月9日). “Bosnia: From the Killing Fields to the Ballot Box”. The Globalist. ⇒オリジナルの2009年10月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091010141934/http://www.theglobalist.com/StoryId.aspx?StoryId=5684 2012年7月30日閲覧。
^ Pavi?, Snje?ana (2010年10月8日). ⇒“Nije to?no da Hrvati nisu glasali za ?eljka Kom?i?a, u Grudama je dobio 124 glasa” (Croatian). Jutarnji list. ⇒http://www.jutarnji.hr/izbori-u-bih--nije-tocno-da-hrvati-nisu-glasali-za-zeljka-komsica--u-grudama-je-dobio-124-glasa-/893048/ 2013年4月6日閲覧。
^ “Reforma Federacije uvod je u reformu izbornog procesa” (Croatian). Dnevno. (2013年5月13日). ⇒オリジナルの2013年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131204112852/http://www.dnevno.ba/vijesti/bih/83174-reforma-federacije-uvod-je-u-reformu-izbornog-procesa.html 2013年5月13日閲覧。
^ ⇒?eljko Kom?i? - ?lan predsjedni?tva BIH iz reda hrvatskog naroda - Biografija: