ジェブ・ブッシュ
[Wikipedia|▼Menu]

アメリカ合衆国政治家ジェブ・ブッシュJeb Bush

生年月日 (1953-02-11) 1953年2月11日(71歳)
出生地 アメリカ合衆国
テキサス州ミッドランド
出身校テキサス大学オースティン校
前職テキサス商業銀行従業員
所属政党共和党
配偶者コルンバ・ブッシュ
子女3人
親族プレスコット・ブッシュ(祖父)
ジョージ・H・W・ブッシュ(父)
ジョージ・W・ブッシュ(兄)
ニール・ブッシュ(弟)
ジョージ・P・ブッシュ(長男)
サイン
フロリダ州
第43代知事
当選回数2回
在任期間1999年1月5日 - 2007年1月2日
副知事フランク・ブローガン
トニー・ジェニングス
フロリダ州
商務長官
在任期間1987年1月6日 - 1988年9月9日
州知事ボブ・マーティンズ
テンプレートを表示

ジョン・エリス・"ジェブ"・ブッシュ(John Ellis "Jeb" Bush、1953年2月11日 - )は、アメリカ合衆国政治家フロリダ州知事(第43代)。アメリカ新世紀プロジェクト会員。所属政党は共和党。父は第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュ、兄は第43代アメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュ、弟は実業家のニール・ブッシュである。

通称の「ジェブ」は、フルネームの頭文字(John Ellis Bush)に由来する[1]
生い立ち1964年、ヒューストンで撮影されたブッシュ一家

1953年2月11日にテキサス州ミッドランドに誕生し、1959年に同州ヒューストンに移り住む[2]

1959年フィリップス・アカデミーに入学[3]。学校ではテニス部のキャプテンをしていたが、学業の成績は悪く、時折マリファナを吸引するなどの面も見られた[4]。17歳の時に、学生交流の一環としてメキシコレオンの学校で英語の講師を務めた[5]。また、メキシコ滞在中に妻となるコルンバ・ガルニカ・ギャロと出会い[6]1974年2月23日に結婚した[7]

1971年、フィリップス・アカデミーを卒業した。彼の家族の多くはイェール大学に通っていたが彼はテキサス大学オースティン校に入学[8]。大学ではラテンアメリカ文学を専攻し、2年半の課程を修了して1973年に卒業した[9]

大学卒業後、テキサス商業銀行に入行[10]1977年11月に、新設されたベネズエラカラカス支店の支店長に就任した[11]

1980年アメリカ合衆国大統領選挙では、立候補した父の選挙スタッフとして活動した。選挙戦終了後、ブッシュ一家はフロリダ州へ移り住む。移住後、ジェブはキューバ移民でコンピュータ関連事業で財を成したアルマンド・コディーナ(英語版)と共に不動産業を始める[12]。最終的に不動産会社は南フロリダ有数の大手企業に成長し、ジェブは共同経営者として企業利益の40%を報酬として得ていた[13]
フロリダ州での政治活動
商務長官

1980年代にマイアミ・デイド郡共和党議長に就任し、政治家としての活動を始める[14][15]1986年のフロリダ州知事選挙では共和党候補のボブ・マルティネス(英語版)の当選に尽力し、その見返りとして1987年1月6日にフロリダ州商務長官に任命された[15]。在任中はキューバ人亡命者を擁護してキューバへの禁輸措置を支持した[16]が、1988年アメリカ合衆国大統領選挙で再び父の選挙スタッフを務めるために、商務長官を辞任した[14]

1990年、キューバ系移民のイリアナ・ロス・レイティネンのキャンペーンマネージャーを務めた[17]
州知事2004年5月17日、フロリダ州でのアースデイのイベントに参加するジェブ知事としてのポートレート

1994年、フロリダ州知事選挙に出馬するが、討論会でのアフリカ系アメリカ人についての発言が波紋を呼び、得票率が伸び悩み落選した[18][19]。落選後はヘリテージ財団の役員を務め、コディーナとの共同経営を続けると同時に、実業家のT・ウィリアム・フェアと共にフロリダ州初のチャーター・スクール設立に尽力した[20]

1998年に知事選に再出馬。55.3%の得票を獲得し、民主党候補のバディ・マッケイ(英語版)を破り当選し、1999年1月5日に就任した[19]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef