ジェフ・ジャレット
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ジェフ・ジャレット
2015年
プロフィール
リングネームジェフ・ジャレット
本名ジェフリー・レオナルド・ジャレット
ニックネームダブルJ
ザ・チョーズン・ワン
キング・オブ・マウンテン
金髪の弾丸児
身長183cm
体重107kg
誕生日 (1967-04-14) 1967年4月14日(57歳)
出身地 アメリカ合衆国
テネシー州ナッシュビル
スポーツ歴レスリング
トレーナージェリー・ジャレット
トージョー・ヤマモト
バディ・ランデル
デビュー1986年
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ジェフ・ジャレット(Jeff Jarrett、本名:Jeffrey Leonard Jarrett、1967年4月14日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州ナッシュビル出身。ダブルJ(Double J)のニックネームを持つ。父親のジェリー・ジャレットと共にTNAを創設した人物でもある。
来歴

1986年4月、父ジェリー・ジャレットジェリー・ローラーと共同で主宰していたテネシー州メンフィスCWAにてデビュー。ベビーフェイスのアイドル系レスラーとして売り出され、テキサス州ダラスのWCCW(WCWA)にも参戦してケリー・フォン・エリックともタッグを組んだ。1989年にCWAとWCCWが合併してUSWAが発足すると主力レスラーとして活躍。1991年10月にはSWSに初来日し、佐野直喜と好勝負を展開した。

1993年、USWAとWWF(現:WWE)の業務提携に伴い、ヒールとしてWWFに登場。WWFではザ・ローディーことブライアン・ジェイムス付き人役に、カントリー・ミュージシャンギミックが与えられる。1995年1月22日の『ロイヤルランブル1995』では、レイザー・ラモンを破りインターコンチネンタル王座を獲得。以降もボブ・ホーリーショーン・マイケルズアーメッド・ジョンソンらと王座を争った。

1996年WCWへ移籍。同スタイルのリック・フレアーと共闘しフォー・ホースメンの客分的存在として活動するも、1997年にWWFへ戻った。

WWF復帰当初はカントリー・ミュージシャンのギミックを継続させるが、1998年8月30日の『サマースラム1998』にてXパックとの髪切りマッチに敗れ、ブロンドの長髪を失ったことを機に、その逆恨みで誰構わず髪の毛を切り落とそうとする傍若無人なキャラクターに変身。"Don't Piss Me Off" を決め台詞に、WCWで一緒だったデブラ(英語版)をマネージャーに従え、オーエン・ハートとのタッグやチャイナとの抗争などで活躍した。1999年10月17日、PPVノー・マーシー』でジャレットはチャイナに敗れ、当時保持していたIC王座を失う(チャイナが女性初のIC王者となった)。その日をもってWWFを退団し、翌10月18日にRaw is Warの裏番組『WCWマンデー・ナイトロ』へ出演、WCWへの再度の電撃移籍を決行した。

移籍後の12月20日にはクリス・ベノワからWCW USヘビー級王座を奪取。2000年からはnWo2000の一員としても活動した。WCW世界ヘビー級王座ダイヤモンド・ダラス・ペイジやリック・フレアーらを下し通算4回獲得。以降、2001年の消滅までWCWに在籍した。WCW崩壊後はオーストラリアブリスベンを本拠地とするWWAに参戦していた[1]2007年

2002年、父ジェリーと共同でTNAを設立(設立時はNWA-TNA)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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