ジェフリー・バトル
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ジェフリー・バトル
Jeffrey BUTTLE

2008年世界選手権でのジェフリー・バトル
生誕 (1982-09-01) 1982年9月1日(41歳)
 オンタリオ州 スムースロックフォールズ
出身地バリー
身長173 cm[1]
出身校トロント大学
選手情報
代表国 カナダ
コーチリー・バーケル[1]
ラファエル・アルトゥニアン(2004-2008)[1][2]
所属クラブサドベリーSC[3]
開始1984
引退2008年9月
ISUサイト ⇒バイオグラフィ
ISUパーソナルベストスコア

総合245.172008年世界選手権
SP83.852008 四大陸選手権
FS163.072008年世界選手権

大会成績

国際スケート連盟主催大会1位2位3位
オリンピック001
世界選手権110
四大陸選手権220
グランプリファイナル020
合計数351

国内大会1位2位3位
カナダ選手権322



獲得メダル

フィギュアスケート
主要な国際競技会
オリンピック
2006 トリノ男子シングル
世界選手権
2005 モスクワ男子シングル
2008 ヨーテボリ男子シングル
四大陸選手権
2002 全州男子シングル
2004 ハミルトン男子シングル
2007 コロラドスプリングス男子シングル
2008 高揚男子シングル
グランプリファイナル
2004 北京男子シングル
2005 東京男子シングル


ジェフリー・バトル(英語: Jeffrey Buttle, 1982年9月1日[1] - )は、カナダの元フィギュアスケート選手(男子シングル)、プロスケーター、振付師。

2006年トリノオリンピック男子シングル銅メダリスト。2008年世界選手権優勝。
人物

1982年9月1日、オンタリオ州スムースロックフォールズで[4][5]、イギリス系カナダ人の家に生まれる。4人家族で、父、母、姉がいる。子供のころ語学教室でフランス語を学び、英語フランス語バイリンガルとなった。現在はトロント大学化学工学を専攻する学生でもある(現在は休学中)[6]

現役時代は競技者でありながらノービスの審査資格も持っており、選手の振り付けや指導を行うこともあった。金妍兒に振り付けをしたこともある[7]

引退後、オープンリーゲイとしてトロント・ゲイ・アイスホッケーリーグ所属のアイスホッケーチームに加入し、29歳にして個人競技から団体競技に挑戦を始めた[8][9]。またメダルやオリンピックユニフォームなどをCLGA(カナダ・レズビアン・ゲイ・アーカイブス)に寄贈することを公表した(結局CLGAから丁重に断られた)[10][11][12]。2014年2月には結婚をした。[13]

美しいスケーティングとエッジワーク、イナバウアーなどのムーブ・イン・ザ・フィールドが持ち味[14]。新採点システムで躍進した選手のひとりで、ステップ[15]スピンなどの質を高めることで高得点を上げてきた[14][16][17]
経歴

2歳でスケートを、5歳くらいからフィギュアスケートを始めた[18]。7歳のとき、コーチになったばかりのリー・バーケルのもとについた[19]。10歳くらいのころには、2歳年上の姉ミーガンとアイスダンスで競技することもあった[18]。同時にバレエにも取り組んでおり、13歳のころにはカナダ国立バレエ学校から入学許可を得ていた[2]。2001-2002シーズンのNHK杯で、グランプリシリーズ (GPシリーズ) 初参戦ながら2位となった[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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