(国旗)(国章)
国の標語: Respublica superiorem non recognoscens(ラテン語)
比類なき共和国のために
1400年当時のジェノヴァ共和国の領土及び同国の経済的影響下に置かれた地域
公用語リグリア語、ラテン語、イタリア語
首都ジェノヴァ
ドージェ
1339年 - 1344年シモーネ・ボッカネグラ
1795年 - 1797年ジャコモ・マリア・ブリニョーレ
変遷
成立1005年
滅亡1797年6月14日
通貨ジェノヴィーノ
現在 イタリア
フランス
ウクライナ
ロシア
ジェノヴァ共和国(ジェノヴァきょうわこく、イタリア語: Repubblica di Genova、リグリア語: Repubrica de Zena、ラテン語: Respublica Ianuensis、別称Serenissima Repubblica di Genova)は、ジェノヴァを中心にして1005年から1797年まで存在した都市領邦である。
地理コルシカ島、サン=フロランに残るジェノヴァ支配時代のシタデルジェノヴァ共和国(濃茶色)の領域はイタリア半島の付け根に相当する西部海岸のほぼ全域のほか、コルシカ島北部に及んでいた。1494年時点の状況
11世紀中頃を起源として、ジェノヴァとその周辺地域で誕生した。都市の通商が増加するにつれ、共和国の領域も拡大した。1098年の第一次十字軍後、ジェノヴァはシリアに定住地を獲得した。サラディンの遠征の最中にその定住地の多くが失われた。1261年、スミルナがジェノヴァ領となった[1] 。1255年、クリミア半島のカッファに植民地を建設した[2]。以後、ジェノヴァ人はソルディア、ケルコ、ツェンバロに植民地を建設した[2]。1275年、東ローマ帝国はジェノヴァにキオス島とサモス島を授けた[2]。1316年から1332年にかけ、ジェノヴァは黒海沿岸のラ・ターナ、サムスンにも植民地を経営した。1355年にはレスボス島がジェノヴァに授けられた。14世紀後半にはサマストリ植民地が黒海沿岸に築かれ、キプロス島が授けられた。東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルのガラタ地区、トレビゾンド帝国の首都トレビゾンドに居住区があった[2]。ジェノヴァ共和国領の大半が15世紀にオスマン帝国によって占領された[2]。1797年に共和国が消滅した時、リグーリア地方だけが共和国領であった。 古代ジェノヴァは、属州の通過点であった。ローマ帝国崩壊後、東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国、カロリング朝の支配領域に入り、9世紀半ばから10世紀半ばにかけてはムスリムの襲撃をうける。956年、イタリア王が国王証書でジェノヴァの住人に対し慣習と所有権を保証する。 中世後期から12世紀・13世紀までのジェノヴァは、大きな交易で繁栄した時代だった。ジェノヴァ商人は東方から買い付けた絹、貴重な香辛料、貴金属、ミョウバンなどを扱っていた。1096年頃に成立したときのジェノヴァ共和国は、イタリア王国に属する自由コムーネであった。生まれたばかりのコムーネは、エステ家出身の伯爵が支配した後、コンスルによる統治にとってかわった。
主な領土
サルデーニャ島 1259年から1325年
キオス島を中心とした北エーゲ海 1261年から1566年
クリミア半島南部沿岸 1266年から1475年
コルシカ島 1284年から1768年
歴史
台頭