この項目では、アメリカのハリウッド女優について説明しています。
イギリスの女優については「ジェマ・ジョーンズ」をご覧ください。
カナダのカーリング選手については「ジェニファー・ジョーンズ (カーリング選手)」をご覧ください。
Jennifer Jones
ジェニファー・ジョーンズ
1953年
本名Phylis Lee Isley
生年月日 (1919-03-02) 1919年3月2日
没年月日 (2009-12-17) 2009年12月17日(90歳没)
出生地 アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州マリブ
職業女優
ジャンル映画
活動期間1939年 - 1974年
配偶者ロバート・ウォーカー (1939-1944)
デヴィッド・O・セルズニック (1949-1965)
Norton Simon (1971-1993)
著名な家族ロバート(息子)
マイケル(息子)
メアリー・ジェニファー(娘)
主な作品
『聖処女』
『慕情』
『タワーリング・インフェルノ』
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1943年『聖処女』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
1943年『聖処女』
その他の賞
ロカルノ国際映画祭
最優秀女優賞
ジェニファー・ジョーンズ(英: Jennifer Jones、出生名:Phylis Lee Isley、1919年3月2日[1][2] - 2009年12月17日[1][2])はアメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身。1940年代から1950年代を代表するハリウッド女優[1][3]。 本名フィリス・リー・イスリーとして生まれる。両親は巡業劇団を持っていたため、子供の頃から舞台に立っていた。 ノースウェスタン大学とニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学び、19歳の時に同じく俳優の卵であったロバート・ウォーカー(アルフレッド・ヒッチコック監督の『見知らぬ乗客』が有名)と結婚[4]。夫がラジオの仕事を得、ジョーンズも端役で西部劇などに出演するようになる。 1940年代前半に映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテストのためにハリウッドに移ったときに名前をジェニファー・ジョーンズに改名[2]。舞台のオーディションのためにのオフィスに行き、セルズニックに認められて彼の元で契約を交わすことになった。 その後、1943年『聖処女』に主演、アカデミー主演女優賞を受賞した。 1944年には最初の夫と離婚(離婚成立は1945年)、1949年にセルズニックと再婚し、彼の元で様々なジャンルの映画に出演、アカデミー賞に4度ノミネートされるなど高い評価を得た。1955年1月30日、『慕情』の香港ロケへ向かう途中に共演のウィリアム・ホールデンと来日を果たしている。1965年のセルズニックの死後はほとんど引退状態であったが、1974年の『タワーリング・インフェルノ』に出演し、ウィリアム・ホールデンと久しぶりの共演をした。 『タワーリング・インフェルノ』以降は俳優活動を行うことが完全に無くなり、メディアへの露出も幾つかのドキュメンタリー番組に顔を出す程度であったが、1998年の第70回アカデミー賞授賞式と2003年の第75回アカデミー賞授賞式に登場し、健在ぶりをアピールする場面もあった。
来歴