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出典検索?: "ジェセル王のピラミッド"
ジェセルのピラミッド
所有者ジェセル
所在地サッカラ、ギーザ県、エジプト
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯29度52分16.56秒 東経31度12分59.02秒 / 北緯29.8712667度 東経31.2163944度 / 29.8712667; 31.2163944座標: 北緯29度52分16.56秒 東経31度12分59.02秒 / 北緯29.8712667度 東経31.2163944度 / 29.8712667; 31.2163944
建設者イムホテプ[1]
建設時期c. 2667?2648 BC (第3王朝)
種別階段ピラミッド
資材石灰岩
高さ62メートル (203 ft)
基礎125.27メートル (411 ft) (larger)
109.12メートル (358 ft) (smaller)
容積330,400立方メートル (11,667,966 cu ft)
ウィキメディア・コモンズ
[ウィキデータを編集]
ジェセル王のピラミッド (Pyramid of Djoser) は、古代エジプト第3王朝第2代ファラオのジェセルによってサッカラに建設されたピラミッドである。
サッカラのピラミッドともいう。典型的な階段ピラミッドであり、単に階段ピラミッドともいう。
史上初のピラミッドとも言われ、その建設方式や宗教的理念は後代のエジプト社会に影響を与えた。 高さ62メートルであり、東西125メートル、南北109メートルの長方形の底面を持っている。後代に建設されたピラミッドは通常正方形の底面を持っているが、階段ピラミッドの場合は五次に渡る設計変更の結果長方形の底面を持つことになった。 階段ピラミッドは元来、初期王朝時代から見られる正方形のマスタバとして高さ10メートル、一辺63メートルの規模を持って建設される予定であった。しかし、建設を担当したジェセルの重臣イムホテプらによって東側に向けて何度も拡張が繰り返され、最終的には階段状の概観を持つピラミッドとして完成したのである。 ピラミッドの地下には深さ28メートルの地下室が設けられており、遺体を納める玄室や、玄室を取り巻く多数の部屋、回廊が張り巡らされた。 階段ピラミッドは単体ではなく、周辺の付属建造物とあわせてピラミッド複合体
設計
複合体葬祭殿の正面
ピラミッド複合体の構成要素は後代のものとは異なっている。階段ピラミッドは神的性格を持った王の墓として、臣下の墓とは一線を画す墓形式として新たに設計されたものであった。その形状は後世に書かれた碑文から、王が天に昇るための階段を意味するといわれている。また、ピラミッド複合体全体の構成は上エジプトと下エジプトの墳墓様式を合わせたものであり、セド祭用神殿の併設という点もあわせて、単純な王の葬祭施設であると同時に、現世における王の支配権、及び権威を象徴する場としての意味を強く持っていた。支配権を表すという性格は、墳墓としての機能を持たない小ピラミッドが別に多数建設されている点からも明らかである。
三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。 階段ピラミッドが建設された当時、石灰岩や花崗岩を用いた建築様式は未だエジプトでは一般化していなかった。この建物を建てたことによって設計者イムホテプは「初めて石の建物を建てた」と後に称えられているが、石を用いた建築自体は階段ピラミッド以前にも例がある。それは第2王朝の王カーセケムイの墓室である。 しかし、建物全体を石造で建設したという点ではやはり階段ピラミッドの建設は画期的であった。初期の石造建築では世界各地で見られるように、石造に特化した建築様式が確立されていないため、古い日干し煉瓦や葦による建造物の建設方式を真似て作られた。 こうした例は古代ギリシアや、インド[注釈 2]の宗教建築に今日も見られるものである。 このピラミッドの建設後しばらくの間、古代エジプトの王達によって次々とピラミッドが建設されるようになった。 二枚貝には、ジェセル王のピラミッドに形態が似ていることから、このピラミッドに由来し学名が命名された種がある[2]。ズカワキンチャクガイ Swiftopecten djoserus (Yoshimura, 2017) セド祭(セドさい、英語:Sed festival)は、古代エジプトのファラオ(王)が在位中に行った王位更新祭[4][5]、又は王の再生の儀式。ジェセル王のピラミッドの複合体には、周辺の付属建造物とあわせて東側に王宮、及びセド祭用の神殿が備わっていた。 またの名を尾の饗宴[6]という。大体においてファラオはサッカラのジェセル王のピラミッドの麓にあるセド祭殿にて行われていた。「セド(sed)」の語義は神の名称とされているが不詳である[4]。ファラオの即位後30年目に行われ、以後3年目ごとに繰り返されるのが原則であるが、必ずしも厳密に順守されたわけではなかった。このような慣習は現在もナイル上流の部族などにみられる[7]。 超越的な力の維持と保持のために行われるセド祭は、王の肉体的・魔術的力の復活を祈願する走行儀式であるが、「形式的な王の死」という王殺しを備えた神事であり王の再生復活を表現した、死と再生を表す神事でもあった[8]。 セド祭と呼ばれる神事は、エジプトが1つの国として統一される以前のエジプト初期王朝時代から、古代ローマによってエジプト最後の王朝プトレマイオス朝が滅ぼされるまで、各王朝の中で30年以上国を統 治した王達によって何度も行なわれてきた儀式である[4]。
建築史的意義
貝類の学名
セド祭手前に見える建築物が「セド祭殿」ファラオ・デンのセド祭を描いた黒檀のラベル。