ジェシー・B・オルデンドルフ
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ジェシー・B・オルデンドルフ
Jesse B. Oldendorf

渾名オーレイ(Oley)
生誕 (1887-02-16) 1887年2月16日
アメリカ合衆国
カリフォルニア州リバーサイド
死没1974年4月27日(1974-04-27)(87歳)
アメリカ合衆国
バージニア州ポーツマス
所属組織 アメリカ海軍
軍歴1909年 - 1948年
最終階級 海軍大将
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ジェシー・バートレット・"オーレイ"・オルデンドルフ(Jesse Bartlett "Oley" Oldendorf、1887年2月16日 - 1974年4月27日)は、アメリカ合衆国海軍軍人。最終階級は海軍大将

第二次世界大戦時のレイテ沖海戦日本軍に勝利したことで知られる。
経歴

オルデンドルフは1909年に海軍兵学校を174人中141番の席次で卒業。[1]卒業年次から「アナポリス1909年組」と呼称された世代からは首席卒業でソロモン諸島の戦いにおいて両用戦部隊司令官を指揮したセオドア・S・ウィルキンソン、戦艦「ノースカロライナ」初代艦長オーラフ・M・ハストベット、初代海軍作戦部長ウィリアム・S・ベンソンを父に持つ戦艦「ワシントン」初代艦長ハワード・H・J・ベンソンらがいる。第一次世界大戦前にカリフォルニア (USS California, ACR-6) 、プレブル (USS Preble, DD-12) 、デンバー (USS Denver, C-14) 、ホイップル (USS Whipple, DD-15) 、に乗り組み、その後再びカリフォルニアから改名したサンディエゴ (USS San Diego, CA-6) に乗り組んだ。続いてパナマ運河の調査艦ハンニバル (USS Hannibal, AG-1) に乗り組んだ[2]

アメリカ合衆国第一次世界大戦に参戦すると、オルデンドルフは陸軍の輸送艦サラトガを護衛したが、サラトガはニューヨークで事故のため沈没し、その後輸送艦プレジデント・リンカーン (USS President Lincoln) に砲術士官として乗り組んだ[3]。プレジデント・リンカーンは1918年5月31日にアイルランド沖でドイツ潜水艦 U-90 から3発の魚雷を受け沈没した[4]

両大戦間にオルデンドルフは貨物艦および輸送艦での任務に配属された。重巡洋艦シアトル (USS Seattle, CA-11) の機関士官および輸送艦パトリシア (USS Patricia) の副長を務め[3]、その後陸上勤務に戻る。ピッツバーグ募兵事務所での勤務後、ボルチモアで機関検査官を務め、続いて水路局で勤務した[3]。その後偵察ヨットのナイアガラ (USS Niagara, PY-9) に配属される。1921年から22年にかけてバーミングハム (USS Birmingham, CL-2) に乗り組み[3]カリブ海で勤務、特別任務戦隊司令官の副官を務めた。その後1922年から24年までと27年から28年まで、海軍工廠司令官の副官を務めた。

オルデンドルフが艦長として初めて乗り組んだ艦は駆逐艦ディケーター (USS Decatur, DD-341) であった[3]。1922年から27年まで艦長職を務めた後、翌28年から30年まで海軍大学校で学び、30年から32年まで戦艦ニューヨーク (USS New York, BB-34) の航海長を務める[3]。32年から35年まで海軍士官学校で航海術の教官を務め、その後35年から37年までウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) の副長を務める[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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