ジェシー・ノーマン
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ジェシー・ノーマン

ジェシー・ノーマン(Jessye Norman, 1945年9月15日 - 2019年9月30日)は、アメリカ合衆国ソプラノ歌手。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽
概要

オペラ歌手としてもソリストとしても世界的に著名であり、またクラシック音楽界きっての稼ぎ頭のひとりである。ソプラノ・ドラマティコの声質と圧倒的な声量を持ち、アイーダやカッサンドル、アルチェステ、レオノーラなどの厳粛な役柄を得意としている。
概歴

ジョージア州オーガスタの出身。両親は揃って音楽愛好家で、ピアノを得意とする母親と、地元の教会で聖歌隊員をつとめた父親との間に生まれた。4歳の時から教会で歌っていた。ハイスクールまでを地元オーガスタで過ごした後、奨学金を得てハワード大学に進学し、キャロライン・グラントに師事。同校を卒業後、ミシガン大学に進んで1968年に修士号を取得。翌1969年にミュンヘンARD国際音楽コンクールの覇者となり、ベルリン国立歌劇場にてリヒャルト・ワーグナーの《タンホイザー》のエリザベート役により、オペラ歌手としてデビューを果たし、「歴史的なソプラノ」との高い評価を受けた。1971年、フィレンツェ5月音楽祭に初出演。1972年にはミラノ・スカラ座とコベント・ガーデン王立歌劇場で「アイーダ」でデビュー、エディンバラ音楽祭に初出演。その後もドイツイタリアのさまざまな歌劇場に出演を重ねた。1973年に帰国し、リンカーン・センターにおいて母国での公式なデビューを果たす。メトロポリタン歌劇場には、1983年に同歌劇場の創立100周年を記念して行われた定期公演のうち、ベルリオーズの《トロイ人》の上演によって初出演を果たした。[1]

1990年代初頭から、ニューヨーク州クロトン・オン・ハドソンに移り住み、テレビタレントのアレン・ファントから購入した、「ホワイト・ゲーツ」と呼ばれる人里離れた屋敷で暮らしていた。

2019年9月30日、脊髄損傷の合併症による敗血症性ショック多臓器不全のため死去[2]。2015年に脊髄を損傷していた[3][4]。74歳没。
活動状況

しばしば公的な行事や祝典に呼ばれて歌唱を披露しており、1985年ロナルド・レーガンとならびに1997年ビル・クリントン米国大統領就任式やエリザベス2世還暦記念祝典への参加のほか、フランス革命200周年記念行事でコンコルド広場において、「ラ・マルセイエーズ」を、1992年7月25日、バルセロナオリンピックの開会式と1996年に故郷であるジョージア州で開催されたアトランタ・オリンピックの開会式では「アメイジング・グレイス」を熱唱した[1]

オペラ歌手としての活動に加えて、定期的なリサイタルも開いており、アリアや芸術歌曲、黒人霊歌を謳っている。イギリスの女性作曲家ジュディス・ウィアの連作歌曲集《女・人生・歌 woman.life.song 》(カーネギー・ホールによる依嘱作品)を初演している。デューク・エリントンミシェル・ルグランによるジャズ・アルバムも録音しており、ヴァンゲリスの「Mythodea」にも参加した。

ノーマンは、陰翳に富んだ表情と深みと張りのある声が特徴的である一方、詩と台本の内容や楽曲構成を把握した知的な解釈と、巧みにコントロールされた表現によって知られている。表向きの気位の高さと、和やかなユーモアの閃きが結び付いたステージマナーゆえに、オペラ界のディーヴァ(プリマドンナ)の由緒ある伝統にはっきりと位置を占めており、1981年のフランス映画「ディーヴァ」の着想源が彼女であると信じる人も多い。また、一般にディーヴァと呼ばれる歌手が避けがちな、新ウィーン楽派以降の新音楽にも取り組んでいる。


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