ジェシカ・シンプソン
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この項目では、シンガーソングライターについて説明しています。トランス活動家については「ジェシカ・シンプソン (トランス活動家)」をご覧ください。

ジェシカ・シンプソン
Jessica Simpson
ジェシカ・シンプソン(2011年)
基本情報
出生名Jessica Ann Simpson
生誕 (1980-07-10) 1980年7月10日(43歳)
出身地 アメリカ合衆国 テキサス州アビリーン
ジャンルポップスカントリーR&Bダンス・ポップ
職業シンガーソングライター女優ファッションデザイナー
担当楽器ボーカル
活動期間1993年 -
レーベルコロムビアエピック、Primary Wave、BMG、Columbia Nashville
共同作業者ニック・ラシェイ
公式サイト ⇒jessicasimpson.com

ジェシカ・シンプソン(Jessica Simpson、本名:Jessica Ann Johnson、1980年7月10日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター女優ファッションデザイナー

テキサス州アビリーン生まれ。身長161cm。父は南部バプテストプロテスタント)派の牧師。母のティナは元日曜学校の教師。妹のアシュリー・シンプソンは姉と同じくシンガーソングライター。
生い立ちとキャリアの始まり

幼い頃からシンガーソングライターに憧れていたジェシカは、12歳のときに教会の聖歌隊ゴスペルを歌い始め、同時期に『ミッキー・マウス・クラブ(英語版)』のオーディションにも参加したが、本番で緊張してしまい不合格になる。その後、インディーズのクリスチャン・レーベルと契約するが、このレーベルが後に倒産してしまう。夢を諦めかけていたその時、祖母のジョイスが資金を出す形でデモ・アルバムを制作。通っていたJ.J.ピアース高等学校(英語版)を1997年に中退し[1]、アルバムのプロモーションのために父と各地を回る。地道な努力の甲斐があり、アルバムは完売した。

その後、専門の弁護士を付けてレコード会社各社を回り、いくつものレーベルからオファーを受ける。そんな中、ソニー・ミュージックの社長トミー・モトーラ(英語版)と出会い、彼の前で歌声を披露した結果、即契約となる。ジェシカはこの時、モトーラの「君はこれからその心と歌声で世界を変えていくんだ」という言葉に感動し、契約を決めたという。

なおジェシカは高校中退後、テキサス州の学校が行っている遠隔教育を通じて General Educational Development(GED)を取得している[1]
本格的なキャリアへ

1999年

「21世紀の
マライア・キャリー」のキャッチコピーで大々的に売り出され、シングル「アイ・ウォナ・ラヴ・ユー・フォーエヴァー」でデビュー。ビルボードHOT100において、最高3位を5週連続にわたって記録する大ヒットとなり、華々しいデビューを飾る。その後、ファースト・アルバム『Sweet Kisses』をリリース。まだ見ぬ未来の夫に捧げたという「Heart Of Innocence」では作詞にも参加し、「結婚するまで純潔を守る」と発言した。


2000年

「アイ・シンク・アイム・イン・ラヴ」や「Where You Are」(当時の恋人ニック・ラシェイとのデュエット)が、ファースト・アルバム『Sweet Kisses』からシングル化。アルバムは最高25位ながら地道にロングヒットを続け、全米で200万枚、世界で400万枚近い売り上げを記録した。


2001年

セカンド・アルバム『イレジスタブル』をリリース。ダンス・ミュージックR&Bテイストを取り入れたこのアルバムは全米で最高6位を記録し、100万枚近くを売り上げた。このアルバムは、ジェシカをブリトニー・スピアーズのような存在にしたいというレコード会社の方針に沿って作られたアルバムだったが、後にジェシカが「それは自分らしくなかった」とも語っている。アルバムのラストには、本人が人生の一部だと語るゴスペル・スタンダード・ナンバー「His Eye Is On The Sparrow」を収録。


2002年

ナインティーエイト・ディグリーズ (98°) のメイン・ボーカル、ニック・ラシェイと結婚[2]。2人の出会いは、1999年にジェシカがナインティーエイト・ディグリーズのツアーのオープニングアクトを務めた時までさかのぼる。


2003年

結婚後初となるサード・アルバム『イン・ディス・スキン』をリリース。アメリカのチャートで初登場10位を記録。シンプルでマイルドなバラードが多く収められ、アルバムのソングライティングにも積極的に自身が参加し、ありのままのジェシカ・シンプソンを表すような一枚となった。

過去2作のアルバムは曲制作にはあまり関与していなかったため、今回のアルバムに対するリスナーの反応にプレッシャーを感じていたが、結果は大成功となる(後述)。

夫ニックとの新婚生活を描いたMTVリアリティ番組『ニューリーウェッズ 新婚アイドル:ニックとジェシカ (Newlyweds: Nick and Jessica)』が放送開始された。


2004年

『ニューリーウェッズ 新婚アイドル:ニックとジェシカ』が特大ヒットとなる。一時期影が薄くなりかけていたが、ここに来て再ブレイクする。

本業の音楽のほうも、『In This Skin』からのシングル「With You」(番組とリンクしたミュージック・ビデオになっている)が大ヒット。一度圏外になったアルバムもみるみるうちにランクアップし、最高2位を記録。全米だけで300万枚以上を売り上げるキャリア最大のヒット作となった。

11月にはクリスマス・アルバム『リジョイス』をリリース。このアルバムは、クリスマスが大好きだった亡くなった祖母のジョイスにちなんで名づけられたタイトルで、本人の思い入れも強いアルバムとなった。夫のニック・ラシェイとのデュエット曲や、この年に歌手デビューした実妹のアシュリー・シンプソンとのデュエット曲も収録。


2005年

本格的な女優デビューとなる初主演映画『デュークス・オブ・ハザード』(The Dukes Of Hazzard) が公開され、全米で興行収入1位を記録する大ヒットを記録。ジェシカによる主題歌「にくい貴方 (These Boots Are Made for Walkin')」(ナンシー・シナトラのカバー曲)もヒットと順調にキャリアを積んでいく。

11月に夫ニック・ラシェイとの破局を発表[2]。離婚へ向けて動き出した。『ニューリーウェッズ 新婚アイドル:ニックとジェシカ』で人気を集めたカップルの破局は、全米中に衝撃を与えた。婚姻生活は約3年だった。離婚の原因については様々な憶測がされているが、真相は定かではない。


2006年

前作から3年ぶりとなるアルバム『ア・パブリック・アフェア』をリリース。このアルバムはソングライター、そしてプロデューサーとしてもジェシカ自身が大きく関わった意欲作となった。先行シングルとなった「A Public Affair」はマドンナの「ホリデイ」を彷彿させるポップソングで、ミュージック・ビデオにはクリスティーナ・ミリアン等の同業者が友情出演し話題となる。しかし、アルバム発売前後に喉を痛めてしまって十分なプロモーションをできなかった影響や離婚によるイメージダウンもあってか、売り上げは前作より大幅に減少した。


2007年

アメリカのシンガーソングライターであるジョン・メイヤーとの交際が話題になったが、数か月で破局する。その後、ダラス・カウボーイズのQBトニー・ロモとの交際を開始する。

アルバム『ア・パブリック・アフェア』を、全米でのリリースから数か月遅れでイギリスドイツなどのヨーロッパ圏でもリリース。

自身のファッションブランドである「ジェシカ・シンプソン」を立ち上げた。


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