ジェイ・レノ
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"Jay" Leno
ジェイ・レノ

本名James Douglas Muir "Jay" Leno
生年月日 (1950-04-28) 1950年4月28日(70歳)
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
職業司会コメディアン
活動内容 テレビ
配偶者 あり
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ジェームズ・ダグラス・ミュア・ジェイ・レノ(James Douglas Muir "Jay" Leno、1950年4月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューロシェル出身のコメディアン俳優声優作家プロデューサー、テレビ司会者。

1992年から2009年までNBCトーク番組ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』の司会を約17年もの間務め、同番組を制作するビッグ・ドッグ・プロダクションのオーナーでもある。2009年9月上旬、平日夜22:00からのゴールデンタイムのNBCのトーク番組『ザ・ジェイ・レノ・ショー』の司会を開始した。しかし2010年1月、『ザ・ジェイ・レノ・ショー』は打ち切りとなり、2010年3月1日より『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』の司会に復帰し、司会者交代劇の中心人物となった[1]。2014年2月6日、『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』は最終回を迎えた。

映画俳優としても活動したことがあるが、有名ではない。身長180cm(5'11)。年収は3200万ドル(約32億円)にも上り、同国のセレブリティ収入ランキングでは23位に位置している。目次

1 生い立ち

2 経歴

2.1 出演映画

2.2 『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』

2.2.1 マイケル・ジャクソン裁判


2.3 コナン・オブライアンへの引き継ぎおよび『ザ・ジェイ・レノ・ショー』

2.4 時間帯変更騒動と『ザ・トゥナイト・ショー』への復帰

2.5 『ザ・トゥナイト・ショー』降板


3 評判

3.1 批判

3.2 擁護


4 プライベート

4.1 チャリティ

4.2 Love Ride

4.3 カーマニア

4.4 ジェイレノ・タンクカー


5 関連項目

6 脚注

7 外部リンク

生い立ち

1950年4月28日、ニューヨーク州ニューロシェルに保険の営業でニューヨークイタリアフルーメリからの移民の家庭に生まれた父アンジェロ(1910年?1994年)と、専業主婦でスコットランドグリーノックで生まれ11歳でアメリカに渡った母キャサリン(旧姓ミュア、1911年?1993年)の下に生まれた[2][3]マサチューセッツ州アンドーヴァーで育ち、1973年ボストン市のエマーソン大学言語聴覚療法学士を取得し、1973年、コメディ・クラブに出演し始めた[4]。レノの兄パトリック (1940年5月12日-2002年10月6日)はベトナム戦争の退役軍人で弁護士として働いていたが、2002年、ガンの合併症で亡くなった[5]
経歴

1977年3月2日、『ザ・トゥナイト・ショー』のコメディのコーナーに初出演した[6][7]。1970年代、1976年の『Good Times 』のエピソード『J.J. in Trouble 』や同年の『Holmes & Yo-Yo 』パイロット版などのテレビやドラマの端役で出演していた。1977年の映画『Fun with Dick and Jane 』にクレジット無しで出演した後、1978年の『American Hot Wax 』や『Silver Bears 』ではより良い役を演じた。この時期に出演した他のドラマや映画は『Almost Heaven 』(1978年)、『One Day at a Time 』の『Going Nowhere 』(1979年)、『Americathon 』(1979年)、『ポリエステル』(1981年)、『Alice 』の『The Wild One 』(1981年)、『Laverne & Shirley 』の『Feminine Mistake 』(1979年)および『Do the Carmine 』(1983年)などである。唯一の主演作はパット・モリタとダブル主演のビデオ映画『Collision Course 』(1989年)である。また『レイト・ナイト・ウイズ・デイヴィッド・レターマン』にも多数出演した。2013年4月3日、NBCはレノが2014年ソチオリンピック開幕前日に『ザ・トゥナイト・ショー』の司会を降板し、後任にジミー・ファロンが就任することを発表した[8][9]
出演映画

年題名役名特記事項
1977おかしな泥棒ディック&ジェーン

Fun with Dick and JaneCarpenter(クレジット無し)
1978Almost HeavenDanny
Silver BearsAlbert Fiore
アメリカン・ホット・ワックス アラン・フリード物語
American Hot WaxMookie
1979AmericathonLarry Miller (Poopy Butt)
1981ポリエステル
PolyesterJournalist on TV News(クレジット無し)
1983What's Up, Hideous Sun DemonIshmael Pivnik(声)
1989ベスト・コップ
Collision CourseDetective Tony Costas初主演。1989年撮影、1992年発表
1993恐竜大行進
We're Back! A Dinosaur's StoryVorb(声)
1994フリントストーン/モダン石器時代
The FlintstonesBedrock's Most Wanted Host
2000スペース・カウボーイ
Space Cowboysジェイ・レノ
2003ふたりにクギづけ
Stuck on Youジェイ・レノ
2005ロボッツ
RobotsFire Hydrant(声)
2006The Jimmy Timmy Power Hour 3: The Jerkinators!Nega-Chin(声)
カーズ
CarsJay Limo(声)
アイス・エイジ2
Ice Age: The MeltdownFast Tony(声)
2007Christmas Is Here AgainThe Narrator(声)
2008Scooby-Doo and the Goblin KingJack O'Lantern(声)
IgorKing Malbert(声)
Unstable Fables: Tortoise vs. HareMurray Hare(声)
2015テッド2
Ted 2本人

『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』

1987年より『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』にゲスト司会者として出演していた。1992年、同番組の前司会であったジョニー・カーソンが引退[10]1954年より続く歴史あるトーク番組の新司会の座はレノとデイヴィッド・レターマンの2人に絞られた。世間的には1982年より同番組の後に編成される番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』の司会を長年務め(1982年 - 1993年)、コメディアンとして一枚上手だったレターマンにその座が渡されるという見方が強かったが(通常、アメリカのトーク番組で司会が入れ替わる場合は、番組に追従しているトーク番組の司会が格上げになることが多い)結果的にスタンダップ・コメディアンであったレノが新司会の座に着いたのだった。この新司会座争いは『ザ・レイト・シフト』という書籍およびテレビ映画にもなった。


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