ジェイムズ・ヘットフィールド
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ジェイムズ・ヘットフィールド
James Hetfield

基本情報
出生名James Alen Hetfield
生誕 (1963-08-03) 1963年8月3日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンルヘヴィメタル
スラッシュメタル
ハードロック
スピードメタル
職業ミュージシャンシンガーソングライターギタリスト
担当楽器ボーカルギター
活動期間1981年 - 現在
共同作業者メタリカ
著名使用楽器
該当項目を参照

ジェイムズ・アラン・ヘットフィールド (英語: James Alan Hetfield、1963年8月3日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト。身長185cm。

同国のヘヴィメタルバンドメタリカ」のフロントメンバー。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」第87位。
略歴

1963年8月3日に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれる。

1981年ラーズ・ウルリッヒが掲載したバンドメンバー募集の新聞広告に応え、そこからメタリカを結成。

1992年8月8日ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーでのメタリカのステージで、"Fade to Black"のオープニングにおいてパイロテクニクスの事故が発生し、腕や顔などにII?III度の大やけどを負う。事故後わずか17日でステージへと戻り、その後4週間、ライヴではジェイムズがヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。

2000年、アルバム『セイント・アンガー』収録作業中にアルコール依存症に陥り、リハビリ施設に入所。後に本人は「人生の中で最も恐ろしいひと時だった」と回想している。

音楽性

速くて重いスラッシュメタルでの
演奏を得意とする。メタリカの曲のリフの多くは彼が作り出したものであり、ギター雑誌などでは「リフマスター」の異名が与えられた。リードはそれほど得意ではないためか、メタリカでのソロの多くはカークが担当する。特に、レコーディングにおいては役割分担がはっきりしており、かつてはリズムギターの左右両パートともジェイムズが演奏していた。

彼はギターリフについて、「ギターリフを、スピーディにかつシャープにするには、ダウンカッティングが重要なポイントになる」と語っている。同じく、リフ・マスターと呼ばれているパンテラダイムバック・ダレルは、「強靭な右手を持ちメタリカのリフを支えるギタリスト」と評している。目安として、BPM200?210くらいの曲なら、8分リズムダウンピッキングのみで演奏してしまう。

上記のフィジカルなプレイだけではなく、叙情的なアルペジオフィンガーピッキングで弾いたり、ブルースのフレーズやカントリー調のアルペジオを奏でたりと幅広い。

ボーカリストとしては野太い声が特徴。ハイトーンで歌うことは現在ではほとんど無いが、1stアルバム『キル・エム・オール - Kill 'Em All - 』の頃には、ハイトーンのシャウトを多用していた。年を経るごとに野太く高音の出にくい歌い方へと変化していったが、他のポピュラー・ミュージックのヴォーカルと比べ特段音程が低いわけでない。ボーカリストとしての音楽性を見出したのは、アルバム『メタリカ』といわれている。なお、2008年にリリースした『デス・マグネティック』では、リック・ルービンのプロデュースで、声のキーを以前並みの高さに戻している(同作品のライナーより)。元々、『デス・マグネティック』のデモ制作時はキーをE♭で演奏していたが、ヴォーカルに緊張感を持たせるために半音上げたEに変更された。ライブでは、アルバムよりも半音低いE♭で演奏されている。また、独特のこぶし回しが特徴的で、1990年代以降は彼のボーカル・スタイルを模倣するバンドがヘヴィメタル以外の音楽でも多く現れた。コンサートで時折デスボイスのような声で歌うときもある。

使用機材
ギター

バンド黎明期 - 1984年までは、1980年に200ドルで購入した日本のエレクトラ製のフライングVのコピーモデルを使用、フロント・リア共にセイモアダンカン製の高出力ハムバッカー、インベーダーを搭載(08年のDeath MagneticのレコーディングでピックアップをEMG60と81に載せ換えられ復活し、一部で使用された)。このフライングVのコピーモデルに関してジェイムズは、「ある特定のバンドを愛するキッズのほとんどは、彼らが使っているのと同じギターを欲しがるもんだろ。俺はずっと白いフライングVが欲しかった。スコーピオンズ、ジューダス・プリーストだ!あれはヘヴィメタルギターだった。わかるだろ、マイケル・シェンカーだ。ホワイトVを持つのは俺の夢だった。」「コピー商品なのは知っていたが、俺らは本物のギブソンのように扱ってた。マイケル・シェンカーが持ってたから、俺も持つ必要があった。」と述べ、かなりの愛着を持って使用していた。しかしネックが折れるなど故障したため、以降は「So What」と「More Beer」と書かれたステッカーを貼った2本の白の1984年製のギブソン・エクスプローラーを使用し始める。

1年にも満たない程の短期間ではあるがダンカン・インベーダーを搭載し、ヘッド部に「Kill Bon Jovi」というステッカーが貼られたジャクソン製キングVを使用した時期もあった。

3rdアルバム時は前述の84年製エクスプローラーとキングVを使用していたが、4thアルバム時にカークがESPと契約し、シグネチュアモデルを制作した事を切っ掛けにESP製のギターに興味を持ち、自らもエクスプローラーシェイプをオーダーし、中指を突き立てたインレイが有名な「Eet Fuk」というペイントが書かれた白のESP製エクスプローラーシェイプを使用し始め、ここからピックアップもEMG60と81を搭載するようになった。

また、現在はフライングV、レスポールシェイプも愛用し、クリーンサウンドを用いる楽曲ではケン・ローレンス製のエクスプローラーシェイプも愛用している。これらのギターには、共通スペックとしてマシン・ヘッド部はスパーゼル社のロック式ペグ、TrimLockを装備し、ピックアップはEMG60・81のコンビネーションから、同社から出ている自身のシグネチュアモデルのピックアップに載せ換えられている。

レコーディングやMTV.ICONのステージでは、ESPのフォレスト・シェイプの7弦ギターも使用した。

以前は、ESPとLTDからジェイムズ使用のエクスプローラーと同形のモデルが販売されていたが、現在はカタログから外されている。現在ESPから発売され、ステージでも使用頻度が高い各種シグネチュアモデルのギターには並々ならぬ拘りが凝縮されており、見た目、音、重量、ジャックの位置、スイッチの配置、オリジナルデザインのインレイやその角度等の細部まで関与し、ESPと納得いくまで話し合いを重ねて制作されている。ジェイムズは重量が軽めのギターを好むとされ、ギターには厳選された軽量なマホガニー材が使用される。

アンプやエフェクター等の機材に関しては新しい物好きなカーク、保守派なジェイムズというイメージが持たれているが、ギター本体に関してはカークはボディシェイプも含めスペックはほぼ決まっていて、新しいギターを制作する際もペイントやカラーリングのみの変更や細かい部分のマイナーチェンジのみで済ますことが多いのに対し、ジェイムズは丸っきり新しいオリジナルシェイプのモデルを作るなど、他の機材とは逆の嗜好となっている。

なお、ストラップはカナダのLevy's製を、弦はアーニーボール製の011?050(011?048のゲージの6弦のみ050に変更したカスタムゲージ)を、ピックはジムダンロップ製のシグネチュアモデルの1.14mmを使用している。

ESP MX-2(2009年)

ESP Snakebyte(2012年)

KEN LAWRENCE(2009年)

ESP Iron Cross(2015年)

ESP Vulture(2017年)

ギター・アンプ

2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング』のレコーディング前までは改造されたマーシャル1959アンプを愛用し、プロコ社のRAT(初期型)でブーストしていたが、レコーディングの直前、ボストンの空港でバンド機材の盗難に遭い(残ったのは自分たちのギターだけだった)、ライド・ザ・ライトニングのレコーディングは借り物の改造されたマーシャルJCM800(50Wの物と言われている)で録音された。


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