ジェイムズ・ブリッシュ
[Wikipedia|▼Menu]

ジェイムズ・ブリッシュ
James Blish
ペンネームウィリアム・アセリング・ジュニア
誕生 (1921-05-23) 1921年5月23日
アメリカ合衆国 ニュージャージー州イーストオレンジ
死没1975年7月30日(1975-07-30)(54歳)
イングランド ヘンリー・オン・テムズ
職業SF作家、ファンタジー作家、SF評論家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1956年 - 1975年
ジャンルSFファンタジー
デビュー作『宇宙零年』
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
『悪魔の星』の第一部となった「良心の問題」が掲載されたイフ誌1953年9月号

ジェイムズ・ベンジャミン・ブリッシュ(James Benjamin Blish、1921年3月23日 - 1975年7月30日)はアメリカSF作家である[1]。ウィリアム・アセリング・ジュニア ( William Atheling Jr. ) の名でSF評論家としても活動した。

オリジナル作品では、「宇宙都市」 ( Cities in Flight ) シリーズが代表作である他、『悪魔の星』が1959年のヒューゴー賞を受賞している。

1968年には代表作の一つ『黒い復活祭』(未訳)が出版された。1970年にはその続編『審判の翌日』(未訳)を書いている。
生涯

ニュージャージー州イーストオレンジ生まれ。1930年代末から1940年代初めにかけては、SFファングループのフューチャリアンズに属していた。会員にはアイザック・アシモフフレデリック・ポールC・M・コーンブルースジュディス・メリルドナルド・A・ウォルハイムデーモン・ナイトH・ビーム・パイパーらがいた。

ラトガース大学コロンビア大学で生物学を学ぶ。1939年からSF小説を発表。徴兵により1942年から1944年まで陸軍医学研究所で働くことになるが軍隊生活が合わず、掃除の命令に従わなかったことで問題になり、除隊。その後はSFだけでなく詩や評論等の執筆をおこなう。また、製薬会社のファイザー社宣伝部のサイエンス・エディタとなって収入を得たが、経済的には苦しい日が続いた。

木星型惑星ガスジャイアント(Gas giant)と命名したのはブリッシュであり、ジュディス・メリルアンソロジー Beyond Human Ken に掲載された「太陽神経叢」でのことである。なお、この作品が最初に発表されたのは1941年のことだが、その際にはこの用語は使っておらず、1952年のアンソロジー向けに書き換えた際に初めて使っている。

ブリッシュは1947年から1963年まで、版権代理人のヴァージニア・キッドと結婚していた。

1956年、ブリッシュは、デーモン・ナイトジュディス・メリルと「ミルフォードSF作家会議」を主宰[2]

1962年から1968年、ブリッシュはたばこ協会(たばこ業者の業界団体)で働いていた[3]

1967年から肺癌で亡くなる1975年まで、SFテレビドラマ「宇宙大作戦」のノベライゼーションを多数手がけ、それまでより多くの人気やファンレターを得た。亡くなるまでに11巻の短編集を出版している。12巻目を執筆中に亡くなり、妻の J. A. Lawrence が完成させた。1970年にはシリーズ初の大人向けオリジナル小説『二重人間スポック!』を書いた。

1960年代中ごろまでマサチューセッツ州ミルフォードにある Arrowhead と呼ばれる有名な家に住んでいた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef