ジェイムズ・ウェイド
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ジェイムズ・ウェイド

ジェイムズ・ウェイド(James Wade, 1983年4月6日 - )は、イギリスイングランド)のダーツ・プレイヤーである。左投げ。2004年より、プロフェッショナル・ダーツ・コーポレイション(PDC)において活躍している。2007年7月、ワールド・マッチプレイにおいて、主要なPDCのタイトルを獲得した最も若いプレイヤーとなり、その後、2007年のワールド・グランプリ、2008年のUKオープンと優勝し、PDC オーダー・オヴ・メリットで2位という自己最高記録を更新した。


目次

1 初期

2 PDCへの移籍

3 大躍進

4 ニックネイムズ

5 ナイン・ダート・フィニッシュ

6 ダーツ外

7 脚注

8 外部リンク


初期

2001年、18歳の時、ウェイドはブリティッシュ・クラシックの決勝戦まで残り、ジョン・ウォールトンに敗北したが、次の年にスイス・オープンで優勝し、2003 レイクサイド・ワールド・チャンピオンシップスにおいてテレビデビューを果たした(結果は、第1ラウンドの対デニス・ハーバー戦で敗退)。2003年に行われた他のBDOのオープン・イベントでは、ノルウェイ・オープン決勝、ベルジャン・オープン準決勝、ダッチ・オープン準々決勝に、それぞれ進出している。

2004 レイクサイド・ワールド・チャンピオンシップスにおいて、彼は第1ラウンドでショーン・グレイトバッチに3-0で勝利し、第2ラウンドでデレル・フィットゥンに負けた。後の2004年、彼はジャーマン・オープンや、Isle of Man オープン、そして、BDOプレイヤーとしての最後のトーナメントとなる5月のインターナショナル・ダーツ・リーグを含む一連の準々決勝に進出した。
PDCへの移籍

2004年5月、多くのBDOトーナメントにおける決勝戦進出権があったにもかかわらず、ウェイドはプロフェッショナル・ダーツ・プレイヤーズ・アソシエイション (PDPA) とPDCサーキットに参加するために、2004年のワールド・ダーツ・トロフィと2005年のレイクサイドの自動配置を犠牲にする決断を下した。

彼は、2005年にPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップのデビューを飾り、第1ラウンドでマーク・ホウルドゥンに負けた。 しかし、2月に行われたアイリッシュ・マスターズで優勝し、その年のUKオープンのベスト16にまで到達した。彼はベテランのロニー・バクスターに勝利し、ラスベガス・デザート・クラシックの予選を通過し、その上その年のワールド・グランプリの予選も通過した。2006年、ワールド・チャンピオンシップの予選を通過したが、またもや第1ラウンドで敗退した。この時は最初の6レッグを取り、2セットリードしていたにもかかわらず、この試合の後、準決勝まで勝ち進んだウェイン・ジョウンズに2-3という結果で終わった。

ウェイドは、2007年のPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップにおいて、第1ラウンドでニュージーランドの予選通過者であるウォーレン・フレンチ、第2ラウンドでデイヴ・ラドレイに勝利し、第3ラウンドでテリー・ジェンキンズに負け、ベスト16まで残った。
大躍進

2006年7月に行われたワールド・マッチプレイにおいて、その姿がテレビ放映される中、彼は大成功を収めた。4人のベテランかつ評判の高いダーツプレイヤーに勝利を収め、ウィンター・ガーデンズの出場以来初めてとなる決勝に到達した。彼は、第1ラウンドは、後一歩で完封試合達成(ストレートで9-0までレッグを取得)となった10-1という結果でデニス・アヴァンズに勝利し、第2ラウンドでは、当時世界No.7であり、PDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップの決勝に進出したこともあるケヴィン・ペインターを13-9で打ち破り(この試合中、残り80を2本のD20で終えたレッグがある)、そして準々決勝では、クリス・メイスンを16-4で打ち下した。準決勝では、1-5から見事オランダ人のローラント・スホールテンに同点延長戦(勝つには2レッグ差を付けることが必要)の末、19-17で逆転勝利する。決勝では、フィル・テイラーとプレイし、8-5とリードしていたものの、11-18で、彼は敗北した。

その後、2007年、最初の主要なテレビ放映されるトーナメントでの成功というタイトルを獲得するために、ブラックプールへ彼は戻り、それを行う中でPDCのテレビ放映されたイベントで優勝したそれまで最も若いプレイヤーとなった。このタイトルと£50,000の小切手への道のりは、ウェイン・ジョウンズ、マーヴィン・キング、エイドゥリアン・ルーイス、そして準決勝でフィル・テイラーに勝利したテリー・ジェンキンズを、彼が打ち敗っていくというものだった。

特に準決勝では、100を超える3ダート・アヴェレッジを出していた、元BDO世界チャンピオンのライモント・ファン・バルネフェルトを打ち破ったばかりのルーイスが、素早く点数を減らすウェイドに付いて行けない間に、ウェイドは常に100以上の点数からチェックアウトした。この試合の3ダート・アヴェレッジは、ルーイスが101.26、ウェイドが101.90と両者が100を超えると言う、それまでウィンター・ガーデンズで行われた試合の中で、最も到達点の高い試合の一つとなった。

ウェイドは、翌年も10月にダブリンで行われたPDCの主要トーナメント、2007 ワールド・グランプリにおいて、準決勝でファン・バルネフェルトを5-1(Sets)で打ち破り、決勝では、ジェンキンズ相手にブラックプールでの成功を繰り返し、優勝した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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