ジェイミー・オハラ
[Wikipedia|▼Menu]

ジェイミー・オハラ

ブラックプール時代
名前
本名ジェイミー・ダリル・オハーラ
Jamie Darryl O'Hara
ラテン文字Jamie O'HARA
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1986-09-25) 1986年9月25日(37歳)
出身地ケント州 ダートフォード
身長180cm
選手情報
ポジションMF (CMF/DMF)
利き足左
ユース
1998-2003 アーセナル
2003-2005 トッテナム・ホットスパー
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2005-2011 トッテナム・ホットスパー 34 (2)
2006→ チェスターフィールド (loan) 19 (5)
2007→ ミルウォール (loan) 14 (2)
2009-2010→ ポーツマス (loan) 26 (2)
2011→ ウルヴァーハンプトン (loan) 14 (3)
2011-2014 ウルヴァーハンプトン 41 (2)
2014-2015 ブラックプール 27 (2)
2015-2016 フラム 37 (1)
2016 ジリンガム 2 (0)
2017-2020 ビラリキー 47 (4)
代表歴2
2008-2009 イングランド U-217 (0)
監督歴
2019-2020 ビラリキー(選手兼任)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年11月28日現在。
2. 2019年1月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェイミー・ダリル・オハーラ (Jamie Darryl O'Hara, 1986年9月25日 - )は、イングランドケント州・ダートフォード出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(CMF/DMF)。

「オハラ」と伸ばし棒のある「オハーラ」と両方の表記が見られる。但し、「オーハラ」は間違った表記である。
経歴
若手時代

ケントのダートフォードで生まれる。地元の学校に通った後に、ロンドンの学校へ進学。そこでアーセナルFCのアカデミーに加入した。

2003年にライバルクラブのトッテナム・ホットスパーFCのアカデミーに移籍。2006年1月にEFLリーグ1チェスターフィールドFCへローン移籍し、プロデビューを果たした。

2007年8月にはミルウォールFCへとローン移籍した。
トッテナム時代

2007-08シーズン序盤、マルティン・ヨルが解任され、後任にファンデ・ラモスが就任。ラモスはミルウォールで好パフォーマンスを見せていたオハラを呼び戻した。12月15日のプレミアリーグポーツマスFC戦で78分にケヴィン=プリンス・ボアテングと交代して出場し、トッテナムのトップチームデビューを果たした。その次節、12月22日に行われたノース・ロンドン・ダービーではトップチームで初めての先発フル出場を果たした。

ラモス指揮下のチームでトップチームのメンバーに定着したオハラは、2月21日のUEFAカップで初ゴールを記録すると、3月22日のポーツマス戦でプレミアリーグ初ゴールを記録した。しかし、2月24日のカーリングカップ決勝、チェルシーFC戦のスカッドからは外れ、優勝の瞬間をピッチまたはベンチで迎えることは出来なかった。デビューシーズンとなった2007-08シーズンはリーグ戦17試合を含む公式戦25試合に出場し、2ゴールを決めた。また、チームの年間最優秀若手選手に選ばれた。

翌2008-09シーズンは序盤にラモスが成績不振で解任され、ハリー・レドナップが新監督に就任すると、徐々にリーグでの出場機会は減っていき、カップ戦要因としての出番が多かった。しかしカーリングカップでは1月6日の準決勝第1戦のバーンリーFC戦で逆転ゴールを決めるなど、2シーズン連続の決勝進出に貢献。昨シーズンとは違い、決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦にも出場した。65分にロマン・パヴリュチェンコと代わり、ピッチに現れると、試合終了までプレー。120分戦って決着が付かず、PK戦にもつれると、オハラがトッテナムの最初のキッカーを務めた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef