ジェイソン・ケンドール
Jason Kendallロイヤルズ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1974-06-26) 1974年6月26日(49歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1992年 MLBドラフト1巡目(全体23位)
初出場1996年4月1日
最終出場2010年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ピッツバーグ・パイレーツ (1996 - 2004)
オークランド・アスレチックス (2005 - 2007)
シカゴ・カブス (2007)
ミルウォーキー・ブルワーズ (2008 - 2009)
カンザスシティ・ロイヤルズ (2010)
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ジェイソン・ダニエル・ケンドール(Jason Daniel Kendall, 1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
父のフレッド・ケンドールも1969年から1980年までプレーした元MLBの捕手である。 1992年のMLBドラフトでピッツバーグ・パイレーツから1巡目(全体23位)で指名され入団。順調にステップアップをし1995年は2Aで117試合に出場、打率.326を記録し、サザンリーグの最優秀選手に選出された[1]。 1996年4月1日の開幕戦でメジャーデビュー。21歳での開幕戦でスタメンデビューは、球団史上1957年のビル・マゼロスキーの19歳に次ぐ若さであった[1]。5月8日のダブルヘッダー初戦でメジャー初本塁打を記録。新人のナリーグ捕手としてはジョニー・ベンチ、ゲイリー・カーター、グレッグ・オルソン
経歴
プロ入りとパイレーツ時代
1997年は144試合に出場し、クレイグ・ビジオの34死球に次ぐリーグ2位、球団新記録となるの31死球を記録した[3]。1998年はリーグ5位の打率.327を記録。これはストライキが行われた年を除くと(1981年、1994年、1995年)、1978年、デーブ・パーカーが打率.334を記録して以来の高打率だった[4]。またこの年のメジャー最多、球団タイ記録となる31死球、リーグ7位の出塁率.411を記録し、1978年のジョン・スターンズ(英語版)が記録した捕手としてのリーグシーズン最多盗塁記録25を更新する26盗塁を記録した[5]。
1999年、4月29日から5月11日にかけて12試合連続安打を記録し、5月3日には球団史上1970年8月19日にマティ・アルー以来となる5打数5安打、0得点、0打点を記録した[6]。その後、5月20日から6月7日にかけて16試合連続安打を記録し好調を維持していたが、7月4日のブルワーズ戦で1塁を駆け抜ける際に、右足首を開放複雑骨折してしまう。ユニフォームを突き破って骨が見えるほどの重症で、早々とシーズンを終えることとなった[7]。2000年を前にファン投票による「今世紀のパイレーツ・ベストナイン」に現役選手として唯一選出された[8]。
右足首の骨折は屈伸動作の多い捕手にとって致命傷という声があったが[8]、開幕に間に合い2000年は復活を果たした。この年の捕手としてメジャー最多となる185安打、112得点、6三塁打と22盗塁を記録し[9]、3年連続で20盗塁を達成、これは捕手としてはメジャーリーグ史上初の快挙となった[9]。5月19日に捕手としては1985年9月18日のリッチ・ゲドマン以来となるサイクル安打を記録した[9]。7月11日のオールスターではマイク・ピアッツァが故障したため、パイレーツの捕手としては1961年のスモーキー・バージェス(英語版)以来となる先発出場を果たした。シーズン終了後の11月17日に6年総額6,000万ドルで契約延長した[10]。
2001年、自己最多の打数606を記録したが、打率.267と4年ぶりに打率3割を下回った。5月23日のフィリーズ戦では左翼手として出場し、初めて捕手以外の守備についた[11]。2002年8月16日、ベン・シーツからヒットを打ち球団史上1987年のジョニー・レイ以来となる通算1,000本安打を達成した[12]。
2003年、リーグ6位の打率.325を記録し、自己最多となる191安打を放った。 2004年シーズン終了後にマーク・レッドマン、アーサー・ローズと2対1のトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。
アスレチックス時代