ジェイコブ・シフ
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ジェイコブ・ヘンリー・シフ
Jacob Henry Schiff

生誕1847年1月10日
自由都市フランクフルト・アム・マイン ドイツ連邦
死没1920年9月25日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国
民族ユダヤ人
職業銀行家
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ジェイコブ・ヘンリー・シフ(英語:Jacob Henry Schiff, 1847年1月10日 - 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカ銀行家慈善家。ヤコブ・ヘンリー・シフとも。生まれた時の名前(即ちドイツ名)は、ヤーコプ・ヒルシュ・シフ (Jacob Hirsch Schiff)。高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入した。勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られる。
生涯
生い立ち

フランクフルトの古いユダヤ教徒の家庭に生まれる。代々ラビの家系で、父は銀行員だった。1370年からフランクフルトのゲットーで、初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルド時代に「グリューネシルト(緑の盾)」(Haus zum Grunen Schild) と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいた。
銀行家

1865年に渡米する。ニューヨークに着いた時はほとんど無一文だった。はじめ銀行の出納係に就く。28歳の時、クーン・ローブ商会に就職[1]

1885年ソロモン・ローブの娘・テレサと結婚した。当時「西半球で最も影響力のある2つの国際銀行の1つ」と謳われたクーン・ローブの頭取に就任する。鉄道建設に投資し、ニューヨークのペンシルベニア駅やハドソン川地下横断トンネルなどを建設、電信会社、ゴム産業、食品加工の分野にも進出した。
慈善事業

シフは常にユダヤ人社会への強い絆を感じ続け、慈善という形で同胞のために貢献した。たとえばロシアポグロムに苦しむユダヤ人を解放するために尽力し、ヘブライ・ユニオン・カレッジの創立と発展を助け、ニューヨーク公共図書館にユダヤ・セクションを作った。シオニズム運動、アメリカ赤十字、コロンビア大学、ハーバード大学などが寄付を受ける。

政治的・世俗的なシオニズムには反対だったが、ユダヤ人のパレスチナ入植には多額の寄付を行い、ハイファ工科大学の設立も援助した。
ロシア・日本との関係

日露戦争に際しては、日銀副総裁であった高橋是清が外債募集のためアメリカに渡るが、どこも公債を引き受けようとしなかった。ついで2年前に日英同盟が結ばれていたイギリスに渡り、香港上海銀行ロンドン支部長だったユーウェン・キャメロン(英語版)(デーヴィッド・キャメロンの高祖父)らのシンジケートから500万ポンドの公債引き受けをなんとかとりつけるが[2]バクー油田の利権を獲得していたイギリス・ロスチャイルドには融資を断られる。第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要だった。そんな中、ある銀行家の晩餐会で隣席したシフより「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問を受うけ、高橋が応答すると、翌朝、500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられた[3]1904年5月、日本は戦時国債を発行することができた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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