ジェイク・シールズ
基本情報
本名ジェイク・セコイア・シールズ
(Jake Sequoyah Shields)
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1979-01-09) 1979年1月9日(45歳)
出身地テネシー州サマータウン
所属シーザー・グレイシー柔術アカデミー
身長183cm
体重77kg
リーチ183cm
階級ウェルター級、ミドル級
バックボーンレスリング、ブラジリアン柔術
テーマ曲Renegades of Funk
(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)
総合格闘技戦績
総試合数45
勝ち33
KO勝ち3
一本勝ち12
判定勝ち18
敗け10
引き分け1
無効試合1
テンプレートを表示
獲得メダル
アメリカ合衆国
男子 グラップリング
アブダビコンバット
銅2005 ロングビーチ77kg級
ジェイク・シールズ(Jake Shields、1979年1月9日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。テネシー州サマータウン出身。シーザー・グレイシー柔術アカデミー所属。元Strikeforce世界ミドル級王者。元EliteXC世界ウェルター級王者。元修斗世界ミドル級王者。
組み技中心のファイトスタイル。大衆受けは悪いがグラップラーからは好評される事が多い。近年はゲームキャラクターに起用されるなどしている[1]。 カリフォルニア州シエラ・ネバダ山脈の山間部の村で育ち、中学までは自宅で教育を受けた。 9歳の頃からレスリングを始め、クエスタ大学時代はオールアメリカンに選出された。20歳の頃にチャック・リデルの下で総合格闘技の練習を始めた。 2002年12月14日、初参戦となった修斗で桜井"マッハ"速人と対戦し、判定勝ち。 2003年8月、菊地昭に判定勝ち。 2003年11月30日、初参戦となったパンクラスで三崎和雄と対戦し、引き分けた。 2004年7月9日、修斗世界ミドル級(-76kg)王座決定戦でレイ・クーパーと対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2004年12月14日、修斗世界ミドル級チャンピオンシップで菊地昭と対戦し、判定負けを喫し王座から陥落した。 2005年5月、アブダビコンバット77kg未満級に出場。1回戦ではディエゴ・サンチェスにポイント判定勝ち、2回戦ではキャメロン・アールにポイント判定勝ち、準決勝ではパブロ・ポポビッチにポイント判定負け、3位決定戦ではレオナルド・サントスにチョークスリーパーで一本勝ち。第3位の成績を収めた。 2006年4月21日、Rumble on the Rock 9で行なわれたウェルター級(-79kg)トーナメントでは、準決勝で岡見勇信に判定勝ち。決勝でカーロス・コンディットに判定勝ちし、優勝を果たした。 2006年11月17日、プログラップリング大会のX-MISSIONにおいてマルセロ・ガッシアと対戦し、1Rフロントチョークで一本負け。 2007年6月2日、Dynamite!! USAでイド・パリエンテと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。 2008年7月26日、初代EliteXC世界ウェルター級王座決定戦でニック・トンプソンと対戦し、変形フロントチョークで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2008年10月4日、EliteXC世界ウェルター級タイトルマッチでポール・デイリーと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め初防衛に成功した。 2009年11月7日、Strikeforce: Fedor vs. Rogersの世界ミドル級王座決定戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した[2]。 2010年4月17日、Strikeforce: Nashvilleの世界ミドル級王座の防衛戦でダン・ヘンダーソンと対戦。1Rにはヘンダーソンのパンチでダウンするなどピンチを迎える場面もあったが、2R以降はポジショニングで優位に立ち3-0の判定勝ち。初防衛に成功した。この試合後、シールズが勝利者インタビューを受けている時にジェイソン・"メイヘム"・ミラーがケイジに入り、シールズとのミドル級タイトルマッチでの再戦を要求しようとした際、シールズのセコンド陣と乱闘騒ぎを起こしている[3]。 2010年7月19日、UFC公式サイトにてUFCへの参戦が正式に発表された[4]。 2010年10月23日、UFC初参戦となったUFC 121でマルティン・カンプマンと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[5]。 2011年4月30日、UFC 129でジョルジュ・サンピエールの持つUFC世界ウェルター級王座に挑戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[6]。 2011年9月17日、UFC Fight Night: Shields vs. Ellenbergerでジェイク・エレンバーガーと対戦し、1RTKO負け。キャリア初の連敗となった。 2012年2月26日、UFC 144で秋山成勲と対戦し、判定勝ち。 2012年8月11日、ミドル級復帰初戦となったUFC 150でエド・ハーマンと対戦し、3-0の判定勝ち。その後、薬物検査の結果で禁止薬物の陽性反応が出たことが発表。試合結果はノーコンテストとなり、罰金を払った上にコロラド・ボクシング・コミッションから6か月間の出場停止処分を受けた[7]。 2013年10月9日、UFC Fight Night: Maia vs. Shieldsでウェルター級ランキング4位のデミアン・マイアと対戦し、2-1の判定勝ち。「アメリカン柔術(後述)がブラジリアン柔術に勝利した」と自画自賛した。 2014年3月15日、UFC 171でウェルター級ランキング12位のヘクター・ロンバードと対戦。テイクダウンを切られ続け、判定負け。後日、UFCを解雇された事が発表された。 2014年10月11日、WSOF初参戦となったWSOF 14でライアン・フォードと対戦し、リアネイキドチョークで一本勝ちを収めた。 2015年8月1日、WSOF 22の世界ウェルター級タイトルマッチでホジマール・パリャーレスと対戦し、キムラロックで自身初の一本負けを喫し、王座獲得に失敗した。試合後にはトキーニョが試合中にアイポークをしてきた事やキムラロックをなかなか解こうとしなかった事に怒り、パンチを食らわせたため、ネバダ州アスレチックコミッションの審議対象となった[8]。 2016年12月31日、WSOF 34の世界ウェルター級タイトルマッチでジョン・フィッチと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
来歴
Strikeforce
UFC
WSOF
人物・エピソード
ベジタリアン(卵乳菜食=菜食+卵・乳製品のみ摂取)。両親ともにベジタリアンの家庭で育ち、生涯一度も肉食をしたことがない厳格なベジタリアン。
Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef