ジェイエア
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株式会社ジェイエア
J-AIR Corporation
本社(空港施設・大阪綜合ビル)
種類株式会社
略称J-AIR
本社所在地 日本
563-0034
大阪府池田市空港2丁目2番5号
空港施設大阪綜合ビル
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度47分44.1秒 東経135度26分21.8秒 / 北緯34.795583度 東経135.439389度 / 34.795583; 135.439389座標: 北緯34度47分44.1秒 東経135度26分21.8秒 / 北緯34.795583度 東経135.439389度 / 34.795583; 135.439389
設立1996年8月8日
(創業: 1991年4月)
業種空運業
法人番号4120901030138
事業内容航空運送事業
代表者本田 俊介(代表取締役社長)
資本金1億円
売上高362億6509万0000円
(2022年3月期)[1]
営業利益△139億8335万0000円
(2022年3月期)[1]
経常利益△139億2628万9000円
(2022年3月期)[1]
純利益12億0424万5000円
(2022年3月期)[1]
純資産△34億3509万6000円
(2022年3月31日現在)[1]
総資産220億6569万4000円
(2022年3月31日現在)[1]
従業員数740名(2022年4月現在)[2]
決算期3月31日
主要株主日本航空株式会社 100%
外部リンクwww.jair.co.jp
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ジェイエア
J-AIR

IATA
JL[3]ICAO
JAL
JLJコールサイン
JAPAN AIR
J AIR

法人番号4120901030138
設立1996年8月8日
ハブ空港大阪国際空港
焦点空港東京国際空港
新千歳空港
福岡空港
マイレージサービスJALマイレージバンク
航空連合ワンワールド
親会社日本航空株式会社
保有機材数32機
(2020年7月現在)
就航地28都市
(2019年12月現在)
本拠地大阪府池田市
代表者本田 俊介(代表取締役社長)
外部リンクhttps://www.jair.co.jp/
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株式会社ジェイエア(: J-AIR Corporation)は、日本航空(JAL)グループ航空会社である。リージョナルジェットを用いて、現在は大阪国際空港をベースに北は北海道女満別空港、南は鹿児島県徳之島空港まで日本全国をカバーしており、JALグループ国内線全体の約3割を占めている。

運送の共同引受により全便JAL便として運航される[4]

2015年以降、同じ日本航空(JAL)グループである日本エアコミューターが運航していた奄美群島路線の一部を移管されるなど路線網を拡大している。
沿革

1991年平成3年)4月 - 経営難に陥っていた「西瀬戸エアリンク」の事業を引き継ぐ形で日本航空グループのジャルフライトアカデミー株式会社(現・エアフライトジャパン)の一部門として発足。その後、広島西飛行場を拠点に仙台空港名古屋空港新潟空港新千歳空港などの地方都市間を中心に結ぶコミューター路線専門の航空会社として成長。なお、ジャルフライトアカデミーはボーイング767などの2人乗務機の増加により余剰となった航空機関士を操縦士に移行させるために設立された会社で、長崎県大村市長崎空港内に本社を構えていた。

1996年(平成8年)8月 - 路線維持のため自治体の補助金を受ける関係上、ジャルフライトアカデミーから分社独立。

2001年(平成13年)3月 - 自治体からの補助金の打ち切りに伴い採算の取れない広島西飛行場からの路線を縮小。一方、機材をBAe ジェットストリーム 31からより大型のボンバルディア CRJ200へと変更し、大阪国際空港や名古屋空港から地方を結ぶ路線を順次増便。

2005年(平成17年)

2月 - 中部国際空港の開港を機に拠点を名古屋空港へと変更、広島西飛行場からは完全撤退。

4月1日 - 「運送の共同引受」により、全便をJAL(当時の日本航空インターナショナル)便として運航。


2006年(平成18年)11月 - 当社初となる自社養成パイロットの訓練生(未経験者対象C制度)を募集し、選考試験を実施。自社養成パイロットの募集はその後も継続。また新機種導入に伴い、整備士客室乗務員の採用も活発化。

2007年(平成19年)

2月 - 2009年度以降の東京国際空港(羽田空港)の再拡張による発着枠拡大にあわせて、新たにブラジルエンブラエル社製の小型ジェット機・エンブラエル 170(E170)を導入することを決定、同年6月に正式契約を締結[5]

2月6日 - 「2007 - 2010年度 JALグループ再生中期プラン」により、日本航空グループによる国内線のうち、当社とJALエクスプレス(JEX)の占める運航便数の割合を、現在の約15%から、2010年までに約26%以上に増やす計画を発表。2008年2月29日発表の2008 - 2010年度プランでは、その数が45%以上に増えることになった。


2007年(平成19年)

3月14日 - 国土交通省より「混雑飛行場(成田国際空港)を使用して運航を行うことの許可」がなされた。今後、成田からの国内接続便を同社がオペレーターとなって運航することを考慮したものである。

4月1日 - 国際航空連合(アライアンス)「ワンワールド」に加盟。

7月 - ジェイエアで初となるプロ野球選手団移動用のチャーター便を運航させる。中日ドラゴンズ高知での試合のため、二軍選手の移動用にチャーター便を運航。


2008年(平成20年)10月3日 - JAL社長・西松遙(当時)の出席のもと、E170の初号機(登録記号はJA211J)引き渡しを受ける。 

2009年(平成21年)

2月1日 - 名古屋空港 - 福岡空港松山空港の2路線でE170の運航を開始。

11月1日 - 貨物搭載開始。札幌発着を中心とした6路線で開始され、順次拡大予定。


2010年(平成22年)

4月23日 - 一部報道により、JALが名古屋空港発着の全路線を2011年春までに完全撤退し、中部国際空港に集約する意向であることが明らかになる。


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