シールドトンネルは、シールド工法によって掘削されたトンネルである。 「シールド」と呼ばれる筒(ないし函)で切羽(きりは)後方のトンネル壁面を一時的に支え、切羽を掘削しながら逐次シールドを前進させるとともに、シールドの後方に壁面を構築する。 現代ではもっぱら、高度に機械化されたシールドマシンを使い、壁面は分割された鋼製またはコンクリート製ブロック(セグメント)を組み上げボルトで緊結して構築する[1]。コンクリート製セグメントは工場で大量生産できるので、コスト面に優れる。 開削工法や沈埋トンネル工法などと違って一部を除いて地上部分を大きく掘り下げる必要性が低いので掘削中の地上部分への影響を抑えることが可能である。 軟弱地盤でも掘り進むことができる、というのが最大の特徴で、水底トンネルの掘削に活躍した。土地利用の深度化に伴い、最近の地下鉄、道路(主に都市内)、共同溝、下水道、地下水路、地下河川などのトンネル工事では、シールドトンネルが多く採用されている。 シールドトンネルの歴史は、イギリス・ロンドンのテムズ川の河底にトンネルを建設しようとしたことから始まる[2]。当時、テムズ川の上流には多数の橋があったが、下流は背の高い帆船の往来があり、橋を架けることができなかったためである[2]。多くの技術者がトンネルの掘削を試みていたが、いずれも失敗に終わっていた[2]。 シールド工法による最初の成功例となったトンネルは、マーク・イザムバード・ブルネルによって開発され[3]、彼とトマス・コクランによって1818年1月に特許が取得された。ブルネルがシールド工法を思いついたのは、造船所で働いているときに見たフナクイムシ(船食い虫)に起源があるといわれている[2]。フナクイムシは水中の木質に穴を開けてそこに住むため、木造船の天敵であり研究対象となっていた。水中の木材に単に穴を開けただけでは、すぐに周囲の木材が膨張し穴が狭まってしまうが、フナクイムシは石灰質を壁面にすりつけて一種の「トンネル」を作っているのである[2]。ブルネルと息子のイザムバード・キングダム・ブルネルは、テムズトンネルの掘削にシールド工法を採用し、1825年3月に立坑の建設を開始、翌1826年1月から世界で初めてシールド方式による掘削を開始した[2]。機材にはロンドン・ランバースの Maudslay, Sons & Field(排水用スチームポンプも建造)が使われた。だが開通は1843年まで待たなくてはならなかった[3]。 ブルネル式は1870年、ロンドン中央を流れるテムズ川の下へのタワー地下道 (Tower Subway) の建設中に、ピーター・バーロウ
概要
歴史
さらにバーロウ式は、1884年のシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(現在のロンドン地下鉄ノーザン線の一部区間)の建設時、ジェームズ・グレートヘッドによって大型化などの改善が行われた。現在はほとんどのシールドトンネルが、グレートヘッド式を基本としている。
初期の掘削方式は、機械カッターが掘り進めるものではなく作業員が人力で掘り進める「手掘り式シールド機」であったが、1897年にセントラル・ロンドン鉄道(現在のロンドン地下鉄セントラル線)において、世界で初めての機械掘り式シールド機が実用化されている[2]。
日本では、1917年に羽越本線折渡トンネルの一部区間で単線シールドトンネルが初めて採用された[3]。1936年には海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルでも採用され、1964年には大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)中央線で、日本初の複線シールドトンネルが採用された。
下水道では1962年4月(完成は1963年3月)、東京都下水道局の石神井川下幹線の一部(工事件名:石神井川下幹線その9工事・東京都北区王子本町)で、初めてシールド工法が使用された[4][5][6]。特に都市化された街ではインフラ整備が急がれ、非開削工法であるシールド工法は下水道建設に大きな威力を発揮した[4](ただし、下水道には非開削工法として推進工法もある)。