シンド州
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シンド州
シンド語: ???
ウルドゥー語: ????‎

州都カラチのII Chundrigar road.



紋章



.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度1分 東経68度5分 / 北緯26.017度 東経68.083度 / 26.017; 68.083
国家 パキスタン
州都カラチ
政府
 ? 種別州
 ? 州知事カムラン・テッソーリ(英語版)(Kamran Tessori)
 ? 州首相マクブール・バカール(英語版)(Maqbool Baqar)
面積
 ? 合計140,914 km2
人口(2023年
 ? 合計55,696,147人
 ? 密度400人/km2
等時帯UTC+5 (パキスタン時間)
ウェブサイトwww.sindh.gov.pk/

シンド州(シンドしゅう、Sindh)はパキスタン南部の州。人口は約5570万人(2023年国勢調査[1])、面積140,914km2。パキスタンのアラビア海沿岸部東側、インダス川下流部にあたり、バローチスターン州パンジャーブ州、およびインドラージャスターン州グジャラート州に接する。研究者などはスィンド州と表記することが多い[2]

シンド州のシンボル(非公式)州の動物
州の鳥
州の花
州の樹
Sport

名称

古くサンスクリットで海または河(インダス川のこと)を意味するシンドゥーSindhuと呼ばれ、アッシリアでシンダSinda、古代ローマでシンドゥスSindus、中国で身毒(しんどく)などと呼ばれた。インド、インダス、ヒンドゥー、ヒンディーも語源を同じくする(ペルシャ語起源)。南アジアでイスラム教が最初に広まった地域とされる。州都はカラチで、他に主要都市としてハイデラバードなどがある。
歴史詳細は「シンドの歴史(英語版)」を参照

紀元前3千年頃インダス文明が始まり、シンドにも有名な遺跡モヘンジョダロがある。その後アーリア人の移住によりシンドも古代インド文化圏に入った。しかしその後もしばしば西方からの侵入・支配があり、それらが混合して文化が形成されていった。

紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャに征服され「ヒンドゥシュ州」に組み込まれた。紀元前4世紀にはアレクサンドロス3世(大王)の遠征に続きギリシャ系セレウコス朝に短期間支配された後、マウリヤ朝に征服され、アショーカ王治下では仏教が盛んになった。その後クシャン朝支配下でも仏教は保護された。さらにアケメネス朝ペルシャに支配された。

489年-690年、ラーイ朝(英語版)が支配した。

711年にイスラーム教を奉じるアラブ人が来襲し、インダス川西側で最後のヒンドゥー教徒のシンド王en:Dahir (Raja)を破ったが、東側へは侵入せず、バローチスターン寄りの一部がイスラーム帝国に支配されるのみであった。しかしウマイヤ朝に征服されてイスラーム化が進み、シンドと呼ばれた(それより東、ほぼ現在のインド領はヒンドと呼ばれた)。

アラブの支配は約3世紀続き、現在につながる文化が生まれた。10世紀にはトルコ系ガズナ朝の侵入があった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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