シンドラーのリスト
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シンドラーのリスト
Schindler's List

監督スティーヴン・スピルバーグ
脚本スティーヴン・ザイリアン
原作トーマス・キニーリー
『シンドラーの箱船』
原題 Schindler's Ark、
米国改題『シンドラーのリスト』
Schindler's List[1]
製作スティーヴン・スピルバーグ
ジェラルド・モーレン
ブランコ・ラスティグ
製作総指揮キャスリーン・ケネディ
出演者リーアム・ニーソン
ベン・キングズレー
レイフ・ファインズ
音楽ジョン・ウィリアムズ
撮影ヤヌス・カミンスキー
編集マイケル・カーン
製作会社アンブリン・エンターテインメント
配給 ユニバーサル・ピクチャーズ
UIP
公開 1993年12月15日
1993年12月25日
1994年2月10日
1994年2月18日
1994年2月24日
1994年2月26日
1994年3月2日
1994年3月3日
1994年3月4日
1994年3月5日
1994年3月9日
1994年3月10日
1994年3月11日
1994年3月17日
1994年9月30日
上映時間195分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
一部ドイツ語
製作費$22,000,000[2]
興行収入 $322,161,245[2]
$96,898,818[2]
配給収入 20億5000万円[3]
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『シンドラーのリスト』(: Schindler's List)は、スティーヴン・スピルバーグ監督・製作、スティーヴン・ザイリアン脚本、1993年アメリカ歴史映画。原作はオーストラリアの小説家トーマス・キニーリーによる1982年の小説『シンドラーの箱舟』。日本での公開は1994年2月。配給はUIP

第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描く。ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られる。
ストーリー

1939年9月、ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフもドイツ軍の占領下に置かれた。ユダヤ人を激しく蔑視するナチス党政権下のドイツ軍はクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットーの中へ追放していた。

そんな中、ナチス党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラーリーアム・ニーソン)が、クラクフの町へやってきた。彼は戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取って琺瑯(ホーロー)容器工場を開設。有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンベン・キングズレー)に工場の経営を任せ、「安価な労働力」としてタダ同然で雇えるゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でSSの将校に取り入って自らの事業を拡大させていった。彼には、プレイボーイ的な享楽的な成功しか関心がなかった。妻帯者にも関わらず、妻に気を配るでもなく次々に魅力的な愛人女性を抱き、美食美酒に興じる。常に仕立ての良いスーツを身にまとった彼はユダヤ人を単なる成功のための便宜的な労働力、手段と見做していた。ユダヤ人に何の関心も無かった。

しかしやがて冷酷なSS将校アーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)がクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任して来る。ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所でユダヤ人を次々と殺戮し蹂躙していく。シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に徐々に変化が生じていく。当初ゲート少尉の親密な友人であり、飲み友達であったシンドラーも、徐々にゲートの振る舞いについていけなくなる。当初は微かな抵抗に過ぎなかったが、個々のユダヤ人の救出に密かに乗り出す。ついにはユダヤ人に絶望的な絶滅、死の恐怖が刻々と迫る中、彼はあるリストの作成を決意する。傍らには妻がいた。
キャスト

※括弧内は日本語吹替声優(数名の役は拘りのあったスピルバーグ本人により選定された[4]。)

オスカー・シンドラー - リーアム・ニーソン堀勝之祐

イザック・シュターン - ベン・キングズレー上田敏也


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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